デジタル人材の育成

未踏IT人材発掘・育成事業:2026年度採択プロジェクト概要(森口PJ)

公開日:2026年6月29日

1.担当プロジェクトマネージャー

  • 落合 陽一(メディアアーティスト/筑波大学 図書館情報メディア系 教授・デジタルネイチャー開発研究センター長/東京大学 大学院新領域創成科学研究科 複雑理工学専攻 複雑システム講座 デジタルネイチャー分野 准教授)

2.採択者氏名

  • 森口 蓮音(西南学院高等学校/Institute of LAG Research)

3.採択金額

  • 3,024,000円

4.プロジェクト名

  • 眼球内組織振動の映像計測と粘弾性モデルに基づく、眼圧の非接触推定システムの開発

5.関連Webサイト

6.申請プロジェクト概要

本プロジェクトでは、眼球内組織の微小な振動を映像から計測し、眼圧(IOP)を非接触・非侵襲で推定するシステムを開発する。サッカード(急速眼球運動)の直後、眼球内の水晶体は慣性力により15〜20Hzの減衰振動(Post-Saccadic Oscillation; PSO)を起こす。この振動の振幅・減衰率は眼圧に依存して変化し、近年その機序を裏付ける先行研究も現れている。本プロジェクトはこの関係を逆に解き、観測された振動から眼圧を推定する。
予備実験では、スマートフォンのマクロカメラで撮影した映像からPSO信号の検出に成功した。同時に、汎用的な映像解析手法の限界や、撮影条件が固定できないことによる信号品質評価の難しさも明らかになった。これを踏まえ本プロジェクトでは、撮影系の安定化(ヘッドマウント型計測の導入を含む)と、眼球の解剖学的構造を活かした独自の振動計測アルゴリズム(OcularEVMと呼称する)の構築を、検証を通じて進める。
振動の解析には、粘弾性モデル(組織の振動をバネとダンパーの組み合わせで表す力学モデル)を骨格とし、個人差や非線形性をデータから補うNeural ODEを組み合わせる。眼圧は、これらのモデルのパラメータが眼圧に依存して変化することを利用して逆算する。撮影条件の最適化、被験者数の拡大、接触式眼圧計によるキャリブレーションを通じて、カメラベース眼圧推定のフィジビリティを検証する。
緑内障は「沈黙の病」と呼ばれ、自覚症状なく視野が失われていく。早期発見の鍵は眼圧の継続的モニタリングであるが、現状では眼科への通院が必要であり、日内変動のピークを捉えることは困難である。本システムが実現すれば、日常的な眼圧スクリーニングが可能となり、緑内障の早期発見率の向上、治療効果の定量的モニタリング、そして長期的には眼圧日内変動の大規模人口データの蓄積に貢献する。

7.採択理由

眼圧(intraocular pressure)の測定は、長らく接触式トノメータと専門医・専門設備に閉じ込められてきた領域である。緑内障は世界における失明原因の第一位でありながら、初期症状に乏しく、定期的な計測なくして進行を捉えることは難しい。世界の患者数は推定七千万を超え、視野欠損はいったん進めば不可逆であり、早期発見の機会をいかに日常へ降ろせるかが視機能保全の決定的な分岐点となる。にもかかわらず、ゴールドマン圧平眼圧計や空気眼圧計といった既存装置は専門の場でしか駆動せず、医療資源の偏在の中で多くの人が静かに視野を失っていく——医療デバイスが「専門の場」に閉じ込められてきたことの帰結である。
本提案は、この構造的課題に対し、誰もが手にしているスマートフォンカメラを感覚器として再定義することで応えようとするものである。心拍や微細な動きに伴って眼球内組織に生じる振動(vibration)を画像解析で検出し、眼球を粘弾性体(viscoelasticity)としてモデル化したバネ・ダンパ系の応答から眼圧を逆推定するという、物理モデルとセンサと画像処理の境界を横断する設計が美しい。汎用カメラのフレームレートと解像度の制約のなかでサブピクセル級の微小変位を取り出し、瞬きや頭部動揺といった外乱から生体内部の振動成分を切り分ける作業は決して自明ではなく、信号と雑音のあわいに踏み込む粘り強い工学を要する。眼球は単なる剛体球ではなく、房水と組織が応答する弾性メディアであり、粘弾性モデルを置くことは現象に対して素直であると同時に、眼圧という静的指標を動的応答から逆算するための物理的足場としても妥当である。光学とバイオメカニクスと信号処理を一本の物理的論理で貫き、医療装置という閉じた箱を、日常の手のひらへとほどいていく筋立てに、課題設定の切り口の鋭さと射程の広さがある。
提案者は、物理モデル、センサ、画像処理という本来分業されがちな領域を一人で横断してくる技術の幅を持ち、医療×計算による視覚の民主化に対して強い執着がある。若くして問いを構造的に切り出し、専門医依存の接触式から、非接触の日常スクリーニングへという二項対立を、物理に立脚して超克しようとする姿勢に、本気の覚悟を見る。視覚と医療の民主化は、彼のライフワークとして据えられるべき問いであり、計算によって日常のなかで人々の視機能を守ろうとするその射程に、未踏事業として伴走する価値があると判断した。最終的には臨床バリデーションと医療機器としての認証という長い道のりが控えるが、まずはスクリーニングの入り口を日常に開くこと自体に、計測の地平を押し広げる固有の価値がある。物質と計算のあわいで、医療機器が日常へと溶けていくこの試みは、世界中の失明予備軍をスマートフォン一台で救いうる可能性を孕む。彼の挑戦は、医療デバイスの民主化と日常化に向けた静かな転回点となりうる。
以上の理由から、本提案を採択とした。

更新履歴

  • 2026年6月29日

    2026年度採択プロジェクト概要(森口PJ)を掲載しました。