デジタル人材の育成
公開日:2023年2月15日
竹内 郁雄PM 未踏統括プロジェクトマネージャー 一般社団法人未踏 代表理事
未踏創設時からプロジェクトマネージャーとして関わり、未踏事業の骨格を作った竹内郁雄さん。ここで育った多くのクリエータたちが国内外で活躍しています。自身、いまもエンジニアとして活動する竹内さんから見た未踏という仕組みの魅力や、応募を考えている方々に望むことをうかがいました。
── 天才プログラマーとして生ける伝説とされる竹内さんは未踏のPM(プロジェクトマネージャ)を長く務めてこられました。
竹内郁雄さん(以下敬称略) 未踏にはプログラムを書く若い人たちが集まっています。そういう人の中に入り、いろんな面白い話を生で聞ける。それが楽しくて、最初4、5年のつもりでPMをお引き受けしましたが、気がつけばライフワークになっていました。
── ご自身、いまもプログラミングを続けられていますね。
竹内 Bridgetという8×8の盤面の立体連結ゲームのプログラミングなんですが、これについて2023年1月の情報処理学会で発表してきました。やっぱり、プログラムを書いていると面白いですから。私は長くNTTの研究所にいましたが、「早く博士号を取りなさい」と言われ続けていて。でもプログラマーとして「上がり」のようにされたくなくて、頑なに断り続け、定年までプログラムを書いてました。退職直前に学位を取って、国立大学に「天上がり」した次第です(笑い)。恐らくいまもそうなんでしょうが、日本企業はプログラミング能力のある人が一定の年齢になるとマネジメントの仕事に移ることが多いんです。米国の西海岸なんかだと、いくつになってもフリーの立場で、あちこち渡り歩きながら、楽しくプログラムを書いている人がたくさんいるんですよね。
── プログラミングのどんなところに面白みを感じますか。
竹内 前提として、ものをつくりだすことは人間の根源的な喜びの1つということがあります。で、絵を描く、陶器を焼く。ものづくりにもいろいろありますが、プログラムがこれらと違うのは作ったものが作った本人を超える可能性があるということです。AI(人工知能)の将棋プログラムの実力はトップのプロ棋士を超えましたが、もちろんプログラマーにそんな将棋の実力はありません。これがとっても面白い。
── エンジニアの視点で未踏をみたとき、どういった点に事業としての良さをお感じになるでしょうか。
竹内 もちろん、成果を出すことも大事ではありますが、失敗を恐れず、とことんやりたいことをやりなさい、と若い人に高い自由度を与える点です。しかも良い成果が出れば、それをもとにビジネスを始めてもいい。知的財産権はプログラムを書いた人に帰属する、という至れり尽くせりの仕組みです。
── いまから、ご自身が応募されるとしたら、どのようなことに挑戦されますか。
竹内 PMの立場の、しかも還暦を過ぎたじいさんではありますが、挑戦が許されると仮定するなら、いま手がけているゲームのAIプログラムをもうちょい強くしたいですね。相当がんばって作ったつもりですが、72コアのマシンをブン回しても、私、まだ勝てますもん。そこがちょっと残念なので。やっぱり、自分より強いゲーム競技のプログラムを作れたら楽しいじゃないですか。たぶん未踏の仲間も面白がってくれると思いますよ。
── 改めて未踏事業が登場し、定着した意義についてお聞きしたいと思います。
竹内 未踏で育った人が社会の中で目立つようになってきました。かつての日本ではいくらソフトの能力があるからといっても個人の名前が目立つことはまずなかったものですが、未踏出身ですごいことをやれば、メディアに取り上げられることも多くなった。時代の流れで早晩そうなっていたのかもしれませんが、未踏事業は明らかにそれを加速したといえるでしょう。また未踏のブランドが大きくなるにともない、企業や大学も未踏で育った人材に注目するようになっています。伸び盛りの中小規模の企業に多いのですが、ぜひうちで、と修了者をヘッドハンティングするところもけっこうあります。大企業の間にも、未踏的な人材を大切にしよう、という考えが広まっているようで、トップマネジメントが階層を飛ばして、いきなり引き立てるといった事例を耳にするようになりました。
── そのほかに影響としてお感じなっていることは。
竹内 未踏は経済産業省所管の事業ですが、ほかの省庁でも近い事業を始めたところがあります。きっと、突出した人材を見つけ出すうえで未踏のシステムが面白い、役に立つ、と判断したんでしょう。地方でも、県おこしといいますか、地方自治体が、高校生などを未踏的スキームですくいあげ、地域の元気度を増すために活躍してもらおうとする。そんな動きも起きています。
── 人材発掘の新たなスキームに先鞭をつけたということですね。
竹内 未踏事業が軌道に乗って、才能のある若い人を発掘するのが容易になり、実際、たくさん見つけてきましたが、逸材はまだまだ埋もれているはずです。一般に、IT系人材は大都市圏に遍在している、というイメージがあるかもしれませんが、実は地方にも才能を秘めた人がたくさんいるんです。そんな人は、周りにプログラムをやっている人がいない、一人だけ圧倒的な力量がある、ということで、浮いている、と感じているかもしれません。であれば、ぜひ未踏に来てほしいですね。ここで同じ志を持つ同年代の優秀な仲間たちに出会えます。話が合う。波長が合う。いわば、やりとりするうえでのプロトコル(手順、規則)が合致する人たちとの交流は楽しいものです。また一度できた人脈は簡単には失われません。多くの未踏修了生から、人との出会いが一生の財産になった、という言葉を聞きます。重要な変化として、未踏を通じて個々の大学や企業などの組織の垣根を越えてつながり合う人脈が形成され、「未踏人材エコシステム」と呼びうるコミュニティが生まれたということがあります。雇用の流動化が進もうとする中、未踏のコミュニティも受け皿の1つとして機能するようになりました。あそこに行けば、面白そうなことができそうだ、と優秀な人たちが集い、仲間と会社を立ち上げるといった動きも生まれています。
── ITリテラシーが求められる時代になり、小学校でもプログラミングが必修化しました。IT人材の幅が広がろうとする中、「未踏的なIT人材」というイメージに変化が生じると考えですか。
竹内 私の考える「未踏的なIT人材」は、ほかの人が思いつかないこと、やらないことをちゃんとやる人です。ここは変わりません。その時代のテクノロジーといいますか、ステイト・オブ・ジ・アート(最高水準の科学技術)に応じきれていないものを創出する。この価値こそ「未踏的」ということになります。というわけで、精神は全然変わっていませんが、時代にともない、応募のテーマは変わります。
── どのような変化があるのでしょうか。
竹内 当初は「未踏ソフトウェア創造事業」という名称だったことからも分かるように、明らかにソフトに重点を置いていましたが、2008年度に人材育成に重点をおいた「未踏IT人材発掘・育成事業」という名称に変えたこともあって、ハードウェアとソフトウェアを一緒に開発するタイプのプロジェクトが増えました。欧米には抽象的なものの考え方の文化があるのに対して、日本人は、手で触れるものへの感性が豊かなのかもしれません。未踏も、日本がお家芸としてきたものづくりの力になれれば、と思っています。そのほか、近年の変化として、医学部の学生さんが未踏に応募してくるケースが増えています。とにかく応募内容は驚くほど多様化してきましたね。
── なぜそれほど多様化が進んだのでしょうか。
竹内 未踏の採択は合議制ではありません。1人のPMが、採択したいと言えば、採択されるわけで、採択されるテーマも多様になってきました。実はこれ、すごく良いことなんです。採用された人は、同期を見て(自分にはわからない領域をやっているので)みんな自分よりすごいことをやっている、とみんながみんな思うわけです(笑い)。特に未踏ITは若い人同士の交流が活発です。自分の領域ではないことに取り組んでいる人と話す。なるほどそうか!と刺激を受ける。モチベーションにもなる。その副作用として新たなことを学び始める。結果、クリエータとしての幅が広がる。すなわち、プロジェクトの多様性が未踏クリエータをマルチバレント(多価)な人に育てあげる効果をもたらしているんです。応募者たちが切削琢磨し、修了後、国の内外を問わず、あちらこちらで活躍してくれる。自分が採択した人がクリエータとして成長する。しかも自分の想像を超える能力を発揮し、ブレイクしてくれる。これぞPМ冥利に尽きるというものです。
── 応募を検討している方へのメッセージをお願いいたします。
竹内 私が大学などを訪問して、素晴らしい才能を備えた人たちの未踏における成果を紹介すると、自分はそんな人にはとても及ばない、と受け止めてしまう方がいるようです。しかし、やりたいことを思いついたのであれば、無理だ、と決めつけないでほしい。ビビっていてはあまりにもったいない。一例をあげましょう。漫画家志望の十代の女性(2004年度未踏ユース採択・小林由佳さん)が応募してきたことがあります。彼女は漫画制作で一番大変なのは、コマやセリフ、絵をおおざっぱに示した「ネーム」という設計図を確定するまで試行錯誤を繰り返すことだ、ということは分かっていた。これを何とかしたい、と応募してきたのですが「プログラミングはまったくやったことがない」と言うんです。でも、やりたいことは面白い。採択し、まずプログラミングの勉強から取り組んでもらったら、見事、9か月間でシステムを開発してくれました。未経験者なんてダメだよ、と門前払いにせず、やりとげる意志があれば何とかなるから、がんばりなさい、とエールを送っています。これが未踏の未踏たるゆえんです。採択されるのは最初から自信満々の人ばかりではありません。期間中に大きく成長する人が多いのが未踏の特徴の1つです。応募時にはどうにも自信なさげだった人(梅谷信行さん 2008年度未踏ユース採択)が、やがて米国に渡り、コンピュータグラフィックスの分野で大変な成果をあげられたこともあります。彼は後年、ターニングポイントは未踏だった、と述懐されました。
── 未踏は育成のための仕組みであり、応募に際して完璧である必要はなく、躊躇する必要もない、ということですね。
竹内 多くの会社のCTO(最高技術責任者)を務めてきた未踏出身者(尾藤正人さん 2003年度未踏ユース採択)が、未踏はリスクの無い挑戦という言い方をされました。まったくその通り。応募するのに何の資格もいりません。たとえ採用されなくても、罰金を払わなければならないわけでもない。また、これは未踏の伝統ですが、丁寧な不採択理由の書面をお返しするようにしています。これを踏まえて、捲土重来、採択された人も大勢います。思い切ってチャレンジして、未踏という場を得て、才能を開花させた人、飛躍した人がたくさんいます。人々が楽しくなる技術、人々が楽になる技術を開発したい、と願い、辛いことも楽しい、と思ってやれる。そんな人であれば、本当に楽しい経験が待っています。やりたいことを抱えているのであれば、ぜひ応募し、未踏の野にあなたの道を切り拓いてください。
1946年、富山県生まれ。1969年、東京大学理学部数学科卒業。1971年、東京大学大学院理学系研究科数学専攻修士課程を修了、日本電信電話公社電気通信研究所に入所。Takeuchi関数の発明、TAOソフトウェアの開発などの業績をあげる。1996年、論文「パラダイム融合言語の研究」により東京大学博士(工学)。1997年、電気通信大学電気通信学部情報工学科教授。2005年、東京大学大学院情報理工学系研究科教授。2011年、早稲田大学理工学学術院基幹理工学研究科教授などを歴任。独立行政法人情報処理推進機構(IPA)の未踏ソフトウェア創造事業(未踏IT人材発掘・育成事業)プロジェクトマネージャーとなり、人材の発掘・育成に取り組む。