社会・産業のデジタル変革
公開日:2026年2月12日
独立行政法人情報処理推進機構
デジタル基盤センター デジタルエンジニアリング部
ソフトウェアエンジニアリンググループ
今村 かずき
日本においてはオープンソースソフトウェア(OSS)の利用は拡大している一方、国際的な貢献や人材育成は依然として不十分であり、インセンティブやガバナンスの仕組みも未成熟です。
このような日本の現状と課題を踏まえ、国際的にデジタル公共財の推進を主導しているUNICEFの専門家であるCheryl Ng氏と、国内でデジタル公共財に関わるキーパーソン(行政機関、研究者、実務家等)を招き、意見交換会を開催しました。この意見交換会は、国際的な視点と国内の取組を結びつけることで、オープンソース推進の施策の実効性を高めることを目的としたものです。
このコラムでは過日開催された意見交換会「Digital Public Goods Roundtable」(以下、ラウンドテーブル)の様子を報告します。
本ラウンドテーブルにおいて、議論の出発点として提起されたのが、日本のエコシステムが抱える構造的な課題——すなわち「場」と「血流」の関係性です。
日本では、これまで多様なエコシステムの構築が試みられ、期待も高まっています。しかし、そこに“血を通わせる”循環設計が欠けているため、しばしば動脈硬化のような停滞が起こりがちです。
エコシステムとは「場の設計」であり、循環とは「血流の設計」です。血流(循環)がつくられない限り、場(エコシステム)は持続しません。日本は「場をつくること」には長けている一方、投資やインセンティブなど「血流を通す仕組みづくり」が弱いという指摘もあります。
ここでいう「循環」とは、資金・人材・知識・データという4つの資源を一箇所に滞留させず、「利用→改良→還元」のループとして動かし続ける状態を指します。これを実現する「循環設計」には、参加のリターンを明確にする「インセンティブ設計」、貢献と受益の流れを透明にする「可視化」、そしてそれらをルールとして定着させる「制度化」の3つの柱が求められます。
では、実際にエコシステムを循環させる“イネーブラー”とは何でしょうか?そして、循環の設計はどのように行うべきでしょうか?
ラウンドテーブルでは、参加者同士の対話を通じて“循環(bloodflow)”を生み出す視点を結びつけながら、この問いへアプローチしていきました。
ラウンドテーブルの冒頭に参加者全員のチェックインとして「One Insight, One Question(一つの洞察と一つの問い)」の共有を行いました。
チェックインの質問事項は以下の2つです。
参加者から共有された内容を具体的な事例と洞察から以下の4つの類型に分類しました。
知識・情報の国際的循環と独自のアプローチの探求
海外の有識者と意見交換を行う際、一方的に情報を求めるだけでなく、日本側からも有益な情報を提供することで、相互に利益のある良好な関係を築けた経験が挙げられました。このような双方向の情報交換が、持続可能な国際的コミュニティを形成する上で不可欠であると分析されました。さらに、組織内部の情報共有プラットフォームの構築が、事業への反映を期待させる「知識の循環」を生み出した事例が紹介されました。
行政機関が主導して開発・公開されたデジタル公共財の利用促進と持続可能性
自治体が開発したOSSを、他の自治体でも利用可能であるという総務省の公式見解が示されたことが共有されました。これは、これまで障壁となっていた法的な不透明さを解消し、行政におけるOSSの活用と横展開を大きく前進させる画期的な出来事として評価できるでしょう。
草の根イノベーションへの報奨と貢献の継続性
特許により地図表現技術が利用できなかった際に、地方自治体の職員が現場のニーズに基づき、代替となる新しいオープンな手法を自ら開発した事例が紹介されました。この技術はその後広く普及し、オープンデータの標準として推奨されています。これは、現場の切実なニーズから生まれたイノベーションが、国の研究予算などの支援と結びつくことで大きな成果を生んだ成功例として共有されました。
また、地方行政の公文書館が保有するデータが、研究者によってオープンデータとして活用され始めた事例も新たな価値創出に繋がる好例として挙げられました。
民間主導の成功事例の横展開と活動の継続性
特定の企業がGitHub上で公開したベストプラクティス(エンタープライズの自動化手法など)を、他の大企業が模倣し、さらなる改善と発表の動きが生まれた事例が共有されました。競争関係にある企業間でさえ、共通のプラットフォームを通じて有益な知識が循環し、業界全体の生産性向上に貢献する好例と言えます。
参加者から挙げられた「問い」をまとめると次のようになりました。
チェックインで提起された個別の論点を統合し、DPGsエコシステムを循環させるための構造的なアプローチについて議論を深めるための全体対話を行いました。
最初にエコシステムの循環について考えられる大まかな分類として以下の3つを提示しました。
Top-downまたはGrassrootsが成功する条件は何でしょうか?そして両者がうまく接続するとき、そこでは何が起きているのでしょう?
これらのアプローチの有効性を具体的な事例を交えて深掘りし、それぞれがエコシステムの循環にどのように貢献しているか考察しました。
Top-downとGrassrootsは対立する概念ではなく、両者の連携がいかに重要であるかが議論されました。
一例として、中央省庁が最初にシステムを導入することでソフトウェアに対する信頼性の礎となる事例の共有がありました。このような「政府のお墨付き」があったからこそ、その後、各自治体や市民が安心してそのシステムを採用し、自らのニーズに合わせて活用を広げるGrassrootsの流れが生まれます。この事例は、Top-downの初期投資と信頼性付与がGrassrootsの自発的な活動を誘発しスケールさせるハイブリッドモデルの成功例として分析されました。
一方で、マイナンバーカードのような政府主導で整備される大規模なデジタル基盤を真に成功させるには、単にインフラを提供するだけでは不十分であると指摘されました。民間企業がその基盤を活用することでどのようなメリットやベネフィットが生まれるのかを共にデザインし、具体的な活用事例を創出していくGrassrootsの動きとの連携が不可欠であるという点が論じられました。
Top-downとGrassrootsを効果的に接続するためには、両者の間に立つ「中間支援組織」の機能が極めて重要であることが示されました。
Cheryl Ng氏からUNICEFのような国際機関が果たす中間支援の役割について説明がありました。例えば、カンボジアで生まれた緊急時音声応答システムのような現場のニーズから生まれた草の根の技術的ソリューションを発掘し、資金提供を行います。さらに、UNICEFが持つ国際的なネットワークを活用して、そのソリューションを他国の政府や現地の通信会社へと繋ぎ、より広範な地域への展開を支援します。このような役割は、有望なGrassrootsのイノベーションが局所的な成功に終わることなく、広域の社会課題解決に繋がるために不可欠な機能であることが強調されました。
エコシステムの循環を維持する上で重要な「血流」となる資金の供給について、特に日本が直面する課題が浮き彫りになりました。
オープンソースを推進するスタートアップが直面する資金調達のジレンマについて言及がありました。一般的なエクイティファイナンス(株式発行による資金調達)では、株主の利益が最優先されるため、「なぜ無償で公開するのか」というオープンソースのカルチャーと根本的に対立します。このため、レベニューシェアといった代替的なファイナンスモデルが必要となりますが、日本国内ではこうした新しい投資モデルへの理解や関心を持つ投資家がまだ少なく、持続可能な資金供給が大きな課題となっている現状が述べられました。
一方で日本の産業界、特に製造業においては、自社のコアビジネスと直接的なシナジーが見込めない限り、オープンソースプロジェクトへの投資が進みにくいという構造的な課題が指摘されました。
これらの指摘は、単なる資金調達の問題に留まらず、日本の伝統的な投資モデルとオープンソース・エコシステムの価値創出ロジックとの間に存在する、より根源的な思想的ミスマッチが循環のボトルネックとなっていることを示唆しています。
これらの多角的な議論を通じて、DPGsエコシステムの循環にはTop-downかGrassrootsかという単一のアプローチではなく、多様な主体が連携する複合的な仕組みこそが不可欠であるという認識が共有されました。特に、活動を持続させるためのファイナンスと異なるセクターを繋ぐ中間支援組織の役割が今後の重要な鍵を握るという共通認識が形成され、次のグループディスカッションへと引き継がれました。
グループディスカッションのために準備した「Circulation Canvas(サーキュレーション・キャンバス)」のフレームワークを使って、循環を駆動する具体的な要素を分析していきました。
「Circulation Canvas」の構成は以下のようになっています。
Step1: What Flows? —何が流れるべきか?
(e.g. knowledge / code / data / funding / human resources …)
Step2: Through What Channels? —どこを通して流れる?
(e.g. communities / DPGs networks / procurement / PoC …)
Step3: Who Or What Pumps It? —ポンプ・推進力は?
(e.g. private sector / public sector / government / intermediaries / community leaders …)
Step4: Small Circulation within 6 months—Step1からStep3の要素を組み合わせて、半年以内に実現可能な“小さな循環”を描く
以下に「Circulation Canvas」に基づいた分析によって得られた洞察を挙げていきます。
DPGsによって制裁対象国の難民がリモートで雇用を得ることを可能にした事例や、日本の中山間地域においてIT業務による雇用が生まれ、結果として地域にコンビニを招致できるほどの経済効果をもたらした事例が共有されました。これは、DPGsが単なる技術開発を超えて、具体的な生活基盤の向上や平和構築に寄与することを示唆しています。
経済的なインセンティブだけでなく、「作る人とオーナーみんなが“楽しい”と実感すること」という情熱や哲学こそが、活動の原動力となります。
コミュニティや技術プラットフォーム(GitHubなど)が流路になると考えられますが、実際にはビジネスサイド(利用者)と開発サイド(提供者)の間に認識の“距離”があります。その根本原因として「相互不可視」の状態が考えられます。ビジネスサイドがDPGsの価値や貢献の必要性を認識できるよう、この距離を埋めるための「ブリッジ」の設計が不可欠です。
政府、国際機関、財団といった中間支援団体によるファンディングやネットワーク提供は重要な要因となるでしょう。
オープンソースへの貢献が、開発者個人のキャリアグロース、企業や個人のブランド構築、あるいは最も過酷な状況にある人々と共闘するフィロソフィーといった、多様な動機付けに繋がっている点は重要です。
DPGsを利用するビジネスサイドが、その価値を認識し、開発者へ直接資金提供できる仕組み(例:クラウドファンディングと技術プラットフォームの連携)を設計することで、持続可能な「小さな経済循環」を生み出す可能性があります。
株主の意向に縛られず、ポリシーに基づいて人材をリモートで雇用し、雇用側の現地の状況に応じた給与水準で支払うことを可能にする体制の必要性が共有されました。
国際的な人材の流動性を支えるためには、国境を越えた雇用管理や給与支払いの業務コストを大幅に削減する専門サービス(HR Tech)の存在がインフラとして不可欠です。
「Circulation Canvas」Step4のアウトプットの一部を紹介します。
本ラウンドテーブルは、日本のDPGsエコシステムが直面する課題が単なる技術やプラットフォームの不足ではなく、「循環」という動的な仕組みの欠如にあることを改めて再認識する機会となりました。エコシステムを循環させるイネーブラーが、技術の公開、政府の信頼、現場の熱意、そして金銭的・理念的リターンを両立させる革新的な資金・人事スキームの複雑な相乗効果によって成り立っているという構造が見えてきました。
エコシステムを持続可能なものにするためには、革新的な資金調達モデル、セクターを超えた連携(官民、NPO、国際機関)、そして資金・人材・知識・モチベーションといった多様な要素が滑らかに流れる「循環の設計」が求められていると言えるでしょう。
今回、多様な背景を持つ専門家が集まり、具体的な課題認識と解決策を共有したこと自体が知識循環の第一歩となりました。
場(エコシステム)を作るだけでなく、そこに多様な要素からなる血流をいかに設計し、流し続けるか。その視点こそが、“動脈硬化”に陥らない、持続可能なエコシステムを育む鍵となるでしょう。
私たちはこれからも問いを続けたいと思います。
「エコシステムを循環させるイネーブラーは何か? そして、循環の設計はどのように行うべきだろうか?」
2026年2月12日
公開