社会・産業のデジタル変革

量子コンピューティングの自社導入の進め方 量子アルゴリズムの空白地帯に挑む

執筆:鷲見 拓哉 2022年9月30日

量子コンピューティングが世界的に注目を浴びている。発展途上にある量子コンピューティングを他社に先駆けて応用することができれば、古典コンピューティングでは到底成し遂げられない差別化を図ることができる可能性がある。そのためには、発展途上にある技術だからこその方法で、量子コンピューティングの自社導入を進める必要がある。本レポートでは、ユーザ企業が発展途上にある量子コンピューティングをどのように捉え、自社導入を進めていけばよいかを解説する。

1.量子コンピューティングがもたらす新たな価値

ビジネス課題を解決しようとするとき、膨大な計算を必要とするがゆえにハイ・パフォーマンス・コンピューティング(古典コンピューティングの一種)をもってしても実用的な時間内に解くことができない計算問題が障壁となることがある。そのような古典コンピューティングでは対応できない計算問題の一部は、量子コンピューティングを用いることにより実用的な時間内に計算できるようになると期待されている。

今まで計算できなかったものが計算できるようになるということは、今まで提供し得なかった新たな価値を生み出すことを意味する。例えば、化学や材料開発の分野では、新たな化合物を一つ作り出すために、大量の試料を実際に作る。その後、その全ての性質を評価した上で最終的に一つに絞り込み、ようやく量産に辿り着く。この工程には通常数年を要するが、量子コンピューティングを応用することで数か月まで短縮できる可能性がある。これは、量子コンピューティングによるシミュレーションにより、実際に作るべき試料の数を大幅に絞り込むことができるからである。結果として、試料の作成・評価に要する原材料費や時間を削減できるだけでなく、製品の市場投入までの時間を劇的に短縮できる可能性が生まれる。また、金融の分野では、顧客ごとに最適なアドバイスを導き出し意思決定を支援するような顧客体験の向上を目指す取組が進められている。そのためには大量のデータを用いた高度な分析を行う必要があるものの、古典コンピューティングでは難しい。ここに、量子コンピューティングの応用が検討されている。

サステナビリティ経営実現のために量子コンピューティングを応用しようとする動きもある。SDGsが国際社会に浸透するにつれ顧客や投資家の選好に変化が生じたことは、企業にとってリスクであり機会でもある。この外部環境変化に対応するため、エネルギー企業BP(英)は顧客中心主義への転換を図る。同社が2020年に発表した新たな全社戦略によれば、2050年までの温室効果ガス排出量実質ゼロ実現に向けて、低炭素投資額を、2025年までに最大8倍の年間40億ドル、2030年までに10倍の年間50億ドルに引き上げるという。同社はこのサステナビリティ経営を実現する上で生じる課題の解決に量子コンピューティングを応用する。具体的には、量子コンピューティングを用いた化学分子シミュレーション、集合型風力発電所における流体シミュレーション、自律型ロボットを用いた設備点検の最適化等により脱炭素を進め、新たな顧客ニーズであるクリーンエネルギーの開発等に繋げたい考えだ。

2.量子アルゴリズムの空白地帯

発展途上にある量子コンピューティングを応用するために着眼すべきは「量子アルゴリズムの空白地帯」である。

量子コンピューティングを用いたとしても、古典コンピューティングでは対応できない計算問題の全てを高速に解けるようになるわけではない。それでも量子コンピューティングが注目を浴びる理由は、古典コンピューティングでは対応できない計算問題の一部に対して、量子加速(古典アルゴリズムよりも高速に動作すること)が理論的に保証された量子アルゴリズム(ある計算問題を量子コンピュータで解く方法)が存在することにある。そのような量子アルゴリズムは現在までに幾つか知られており、幅広い産業分野に応用し得ることへの期待は大きい。いずれの量子アルゴリズムも将来実現することが期待される大規模量子コンピュータ上での実行を前提とするものであるため、発展途上にある現在の量子コンピュータ(英語表記Noisy Intermediate-Scale Quantumの頭文字を取り、「NISQ(ニスク)コンピュータ」と呼ばれる。)上で実行することはできない。NISQコンピュータには、一度の実行における演算の回数や継続時間、処理できる計算問題の大きさ等に限界があるため、実行可能な量子アルゴリズムに制約があるのである。

しかし、ビジネス課題の原因たる古典コンピューティングでは対応できない計算問題を解く手段の一つとして、NISQコンピュータの可能性を探ることは検討に値する。NISQコンピュータ上で、前述の制約を満たし、なおかつ実用性のある計算ができるよう特別に開発された量子アルゴリズム(NISQアルゴリズム)を用いることにより、古典コンピューティングでは対応できない計算問題を解こうというのである。NISQアルゴリズムは現在までに幾つかの種類が提案されているものの、古典コンピューティングでは対応できない計算問題を実用的な時間内に解けるか否か、解ける場合の量子加速の有無については、理論的にも経験的にも現時点ではよく分かっていない。しかし、これを満たすNISQアルゴリズムが存在する可能性はある。NISQアルゴリズムは現在も活発に研究されており、古典アルゴリズムを上回るという新たなNISQアルゴリズムも近年提案されている。そのような宝とも言うべきNISQアルゴリズムを開発することができれば、他社との差別化に繋がる可能性が生まれる。本レポートでは、古典コンピューティングでは対応できない計算問題を実用的な時間内に解き、なおかつ量子加速のあるNISQアルゴリズムの存否が不明瞭な領域のことを「量子アルゴリズムの空白地帯」と表現することにする。

コンサルティングファームMcKinsey & Company(米)が行った2021年の調査[1]によれば、製薬、化学、自動車、金融の各産業分野におけるビジネス課題の原因たる計算問題の一部は、NISQコンピュータで解くことができる可能性がある。今真っ先に量子アルゴリズムの空白地帯に目を付け、量子コンピューティングの自社導入について検討を開始すべきは、製薬、化学、自動車、金融分野の企業である。これらの企業は、量子コンピューティングに取り組むことにより利益を得られる可能性がある。

3.量子アルゴリズムの空白地帯に狙いを定める先進企業

大規模量子コンピュータの実現まで相当の時間を要するかもしれないという認識は正しい。しかし、その認識だけに基づいて量子コンピューティングの自社導入に消極的となってしまうのは、前述した「量子アルゴリズムの空白地帯」を生むハードウェア実現性の不透明さの側面しか見ていないということになる。この空白地帯は、NISQコンピュータ上で実用性を発揮する量子アルゴリズムが存在する可能性も秘めている。量子アルゴリズムの空白地帯を空漠たる荒野と見るか、沃野千里と見るかの視座の違いが、各社の量子コンピューティングに対する取組姿勢を決める。後者の見方をする先進的なユーザ企業は、量子アルゴリズムの空白地帯が存在することを好機と捉え、他社との差別化に繋げることを狙っている。

このような先進的なユーザ企業の動向は、量子コンピューティングへの理解度が高い企業に焦点を絞った調査結果に表れている。コンサルティングファームErnst & Young(英)が量子コンピューティングをよく理解する501人の経営幹部を対象に行った2022年の調査[2]によれば、量子コンピューティングが2025年までに十分な技術進歩を遂げると考える経営幹部は501人中48%であり、2030年まで広げると同81%まで増える。所属企業における量子コンピューティング導入戦略の策定状況について、策定済み:501人中4%、策定中:同29%、2年以内に策定に着手する:同39%という回答結果からも、72%に上る多くの回答者企業が量子コンピューティングの導入に乗り出していることが分かる。また、量子ソフトウェア企業Classiq Technologies(イスラエル)が、量子コンピューティングをよく理解する509人の経営幹部を対象に行った2021年の調査[3]からも同様の傾向が見て取れる。それによれば、所属企業における量子コンピューティングに関する予算について、確保済み:509人中61%、予算確保を計画中:同21%ということである。

翻って一般企業に目を向けると、その関心の程度は低いことが分かる。IBM(米)が2021年に行ったCEO調査[4]によれば、調査対象となった3,000人以上のCEOのうち89%が、今後2~3年の間に量子コンピューティングが組織の事業成長に寄与することは無いと考えている。また、コンサルティングファームBoston Consulting Group(米)と金融機関Natixis(仏)が7つのテクノロジーについて、10産業分野の204組織を対象に行った2021年の調査[5]によれば、今後数年間におけるテクノロジー別の注目度は、AIが最も高く、量子コンピューティングは上から5番目である。いずれの産業分野においても量子コンピューティングの注目度は低く、真っ先に導入検討を開始すべき金融、化学、製薬分野の組織ですらそれぞれ34%、22%、5%の注目度にとどまる。

4.量子コンピューティングの導入プロセス

ユーザ企業における量子コンピューティングの自社導入は、次のような段階的プロセスとして進めるのがよい。

  • 量子チームの組織
  • 最新動向や応用事例のリサーチ
  • 自社のビジネス課題を解決する量子アルゴリズムの開発
  • 開発した量子アルゴリズムの性能評価

その理由は、第一に、現在の量子コンピューティングは発展途上の技術であり、技術進歩に関する不確実性があるため、本格的な投資をなるべく先送りできるような段階的プロセスとした上で、プロセスごとに結果を評価し、次のプロセスに進むか否かの意思決定を行えるようにすることがリスク管理の観点から妥当だからである。プロセスごとに結果を評価することにより、次のプロセスに進むか、それとも中断するかの柔軟で合理的な意思決定を行うことができるようになる。このような、不確実性下における投資の意思決定基準には、例えばリアル・オプション(将来において何らかの行動をとる権利)に基づくアプローチがある。実際、企業の量子コンピューティングに関する戦略を調査した2022年の研究[6]によれば、リアル・オプションに基づく戦略をとる企業が最も多く観測されたという。

第二に、NISQコンピュータを用いてビジネス課題の原因たる古典コンピューティングでは対応できない計算問題を解くには、高度な専門知識に基づいて、自社固有の事情に合わせたNISQアルゴリズムを開発する必要があるからである。前述のとおり現在の量子コンピューティングは発展途上の技術であるため、汎用的なソリューションを導入してビジネス課題を解決できる段階には至っていない。

第三に、NISQアルゴリズムの実用性は、実験に基づいて確認する必要があるからである。NISQアルゴリズムの量子加速は理論的によく分かっていないため、開発したアルゴリズムがビジネス課題の原因たる古典コンピューティングでは対応できない計算問題を本当に高速に解くことができるかは、実データを用いた実験で性能評価を行うまで分からない。

5.量子チームの組織

導入プロセスの一つ目として、まずは、量子コンピューティングの導入を検討・推進するプロジェクトチームを組織する。このチームの役割は、自社のビジネス課題に対する量子コンピューティングの有効性を確かめ、ビジネスケースレポートとしてまとめることである。そのために、量子コンピューティングの最新動向や応用事例のリサーチ、自社のビジネス課題を解決する量子アルゴリズムの開発、量子コンピュータ実機を用いた量子アルゴリズムの性能評価等を行う。また、量子コンピューティングを取り巻く状況やプロジェクトの進捗に変化が生じた際には、更新したビジネスケースレポートを経営幹部に報告することで量子コンピューティング導入に対する自社の優先順位を適切に保つ役割も担う。

量子チームが備えるべき専門知識の範囲は、量子コンピューティングに関する理論的知識のみならず、計算機科学、数学、プログラミング、量子コンピューティングサービスに関する専門知識、ビジネスに関するドメイン知識にまで及ぶ。量子チームはこれらの専門知識を有する人員、例えば、チームリーダー、量子研究者、計算機科学者、数学者、ソフトウェアエンジニア、ドメインエキスパート等で、さらに、後述する理由からパートナーシップスペシャリストも加えて構成することになる(ただし、初めから全員揃える必要は無く、プロジェクトの進捗に応じて必要な人員を確保すればよい。)。

既存の自社人員や彼女ら/彼らへの教育だけでこれらの専門知識・人員を確保できない場合にはそれを補完する必要がある。この補完を行う方法としては、自社人員に不足する専門知識を有する人材の新規雇用、外部の専門家や専門企業、研究機関とのアライアンス(共同研究、コンソーシアム参画等)のそれぞれが考えられる。外部の人材、企業、エコシステムと繋がる必要が生じることが、パートナーシップスペシャリストを必要とする理由である。量子コンピューティングの専門知識を有する人材の獲得は難しく、希少な量子コンピューティング人材を求める争奪戦がユーザ企業でも始まっている。ユーザ企業が量子チームを組織する工夫としては、優秀な学生と修士課程や博士課程に在籍するうちから繋がることが挙げられる。補完を必要とする専門知識に関連する研究に共同研究者としてドメイン知識や資金を提供して研究活動を支援したり、学生をインターンシップとして受け入れたりすることは専門知識の獲得、ひいては量子チームの組織に有効である。

金融機関JPMorgan Chase & Co.(米)には、量子コンピューティングの専門知識を有する修士課程や博士課程の学生を受け入れて、金融分野の量子アルゴリズムの共同研究を行うインターンシップ制度「Quantum Computing Summer Associate Program」がある。この制度は、同社の量子チームが抱える量子アルゴリズム開発上の課題の解決を目的とするものである。学生に求める専門知識やスキルとしては、計算機科学、数学、工学、自然科学等の専門知識、量子アルゴリズムの開発経験、プログラミングスキル、研究スキルが募集要項上に挙げられる一方で、金融に関するドメイン知識は不要とされている。さらに同社は、このインターンシップ制度で見つけた優秀な学生をフルタイム研究者として雇用する用意があるという。これは、社内にはドメイン知識があるため補完する必要は無い一方、それ以外の不足する専門知識・人員については外部から調達して補完することにより、量子チームを組織しようとすることに他ならない。

日本国内においても、大学との連携を通じて専門知識・人員を補完しようとする動きがある。2021年6月、東京大学と協賛企業9社(SCSK、NTTデータ、電通国際情報サービス、日鉄ソリューションズ、三井住友フィナンシャルグループ・日本総合研究所、日本電気、日本ユニシス(現・BIPROGY)、富士通及びblueqat)は、量子アプリケーションの開発や量子ネイティブな専門人材の育成を目的とする「量子ソフトウェア」寄付講座を同大学院に設置した。協賛企業各社は、東京大学や他の協賛企業との連携を強化できるだけでなく、講座を受講する同大学院生を早期に認知し、優秀な人材の獲得に繋げることができる環境を手に入れたと言える。

6.最新動向や応用事例のリサーチ

量子チームの最初の仕事は、自社のビジネス課題に対する量子コンピューティングの有効性を見極めることである。前述のとおり量子アルゴリズムの量子加速は、古典コンピューティングでは対応できない計算問題の一部に対してのみであると考えられているため、この見極めは導入プロセスの初期段階で行う必要がある。さもなくば、古典コンピューティング以上に高速化できる見込みの無い計算に対して、量子コンピューティングの応用を延々と検討してしまうことになる。

有効性を見極めるには、最新動向や応用事例のリサーチを通じて、量子コンピューティングが解決すると期待されているビジネス課題とは何かを理解するのがよい。量子コンピューティングに特化したカンファレンスを活用すると、このリサーチを効率よく行うことができる。カンファレンスでは、ハードウェア企業からは量子コンピュータの開発ロードマップ等の情報、ソフトウェア企業からは開発ツール(量子アルゴリズムを開発するためのライブラリ、コンパイラ、シミュレータ等の開発環境)等の情報、ユーザ企業からは導入に向けた取組、応用事例等の情報といった具合に、各企業の有する知見が整理された形で発表されるため、効率よく情報を収集できる。このようなカンファレンスには「Q2B」、「Quantum.Tech」等がある。参加費は数万円程度で、カンファレンスによっては過去開催分のアーカイブ映像を無料でいつでも視聴することができる。

また、量子コンピューティングが実用化するまで時間を要する可能性も視野に入れるならば、自社のリスクをなるべく低く保ちながら継続的なリサーチを行う方法も用意しておく必要がある。そのような手立てとしてコンソーシアムの意義や参画を検討するのがよい。ユーザ企業のビジネス課題を量子コンピューティングがどう解決できるか、現実的で経済的な価値のある応用先を共同探索するコンソーシアムは国内外に幾つか存在する。コンソーシアムは、その性質上、参画企業全体の利益追求が優先されるため活動方針が自社の関心事項に完全には合致しないおそれがあるなど、自社の利益追求や差別化という観点は希薄である。しかし、リサーチに要する費用を参画企業間で分担できるため投資リスクは小さくなり、参画企業が複数存在し出入りもあることから広範囲かつ多角的な情報源として活用できる点は、コンソーシアムの魅力である。

製薬企業F. Hoffmann-La Roche(スイス)は、量子チーム「Roche pRED Quantum Computing Taskforce」を有している。同社の取組は、「How can Quantum Computing accelerate drug development?」というシンプルな問いから始まったという。当初、量子ハードウェア企業であるIBM、Microsoft(米)、Google(米)、Intel(米)の各研究所を訪問し、量子コンピュータの規模拡大に関する戦略やその際に生じる将来的なボトルネックについてインタビューすることで、各社の違いを調査したという。同社はその後、カンファレンス、さらにはコンソーシアムへの参画という具合に取組の幅を広げ、最新動向や応用事例に関するリサーチを進めていった。

ドイツの12企業(2022年9月26日時点)で構成されるコンソーシアム「QUTAC(Quantum Technology and Application Consortium)」は、量子コンピューティングエコシステムの確立、ビジネスインパクトの大きい応用先の探索を目的とし、これまでに23の応用先を特定している。また、2021年4月に正式な活動を開始した欧州のコンソーシアム「QuIC(European Quantum Industry Consortium)」は、欧州における量子技術の産業競争力強化を目的とし、エコシステムを構成する中小企業、大企業、投資家、研究者を繋ぐためのコラボレーションハブとして活動している。166の会員組織(2022年9月9日時点)が、9の部会(市場動向・応用事例、知的財産、人材育成、標準化、技術動向、ロードマップ、エコシステム、中小企業・資金調達、拠点形成の各観点)で議論を進めている。

日本国内においても、コンソーシアムによる応用先の探索、エコシステムの形成が始まっている。そのような事例としては、量子技術を応用した新産業の創出を目的とする「量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR:Quantum STrategic industry Alliance for Revolution)」がある。2021年9月の発足時に24組織だった会員は60組織(2022年9月16日時点)まで増え、高いユーザ企業の構成比率が特徴である。

7.自社のビジネス課題を解決する量子アルゴリズムの開発

最新動向や応用事例のリサーチを通じて、自社のビジネス課題に対する量子コンピューティングの有効性の確度が高まったならば、実際に量子アルゴリズム(NISQアルゴリズム)を開発する。これは、大規模量子コンピュータでの実行を念頭に置いて開発された量子アルゴリズムのうち自社のビジネス課題に有効なものをNISQアルゴリズムとして設計し直すか、又は全く新しいNISQアルゴリズムを開発することで行う。

金融機関BBVA(Banco Bilbao Vizcaya Argentaria。スペイン)は、量子チーム「Quantum Hub」を中心に量子コンピューティングの導入を進めている。彼女ら/彼らは、事業部門との連携を通じて現場業務を知ることで、古典コンピューティングに起因する10以上のビジネス課題を見つけ出した。その上で、それぞれのビジネス課題に対する量子コンピューティングの有効性、解決できた場合の利益や顧客価値の大きさ、自社戦略との整合性等に基づき、量子アルゴリズムの開発対象をポートフォリオ最適化とモンテカルロ・シミュレーションの領域に絞り込んだ。その後、5つの計算問題ごとにPoCとして具体化し、外部の専門企業との共同研究体制を構築するなどして社内に不足する専門知識・人員を補完することで、量子アルゴリズムの開発を進めた。

BBVAの事例にあるような共同研究は、パートナーの選定をうまく行うことができれば質の高い成果を期待できる。そのためには相手の実力を見極める確かな目利き力が必要である。量子コンピューティングの不確実性は、ユーザ企業と同様に技術提供者にとってもハイリスクであるから、体力のある一部の大企業を除けば、現在はリスクマネーを原資とするスタートアップが主として技術提供者の役割を担っている。この点についてBBVAは、スタートアップと日常的に接触する仕組みを有している。その一つである「BBVA Open Marketplace」というデジタルマッチングプラットフォームを使えば、BBVAと協業したいFinTechスタートアップは、同プラットフォームを介して自社のソリューションを事業部門に直接提案することができる。BBVA内にはスタートアップとの共同プロジェクトを素早く開始するための支援体制が整えられているため、事業部門は、マッチング後数週間で共同プロジェクトを開始できる。2019年時点で、2,000社以上のスタートアップと、170以上のBBVAの事業部門が登録されている。2019年の一年間には、310社のスタートアップと接触し、16の共同プロジェクトを実施したという。このようにして培ったスタートアップの目利き力や社内体制が、量子コンピューティングのパートナー選定でも実力を発揮しただろう。

パートナー選定の成功確率を高める工夫として、世界レベルのオープンイノベーション(企業対企業の関係を超えて、多くの人の専門知識と技術を集めること)を組み合わせる方法もある。自社の具体的なビジネス課題や、その原因たる古典コンピューティングでは対応できない計算問題をコンペティションの課題として出題することで、それを解決する量子アルゴリズムをコンペティション参加者に開発してもらおうというものである。特定の一者だけを単独に評価・選定する場合とは対照的に、コンペティションの場合は各参加者が開発した量子アルゴリズムに基づき、性能評価を実際に行ったり、各量子アルゴリズムの性能を比較したりすることができる。その結果、参加者の能力をより正確に評価できるようになるため、パートナー選定の成功確率を高めることができる。

航空機メーカーAirbus(仏)は、2019年1月、量子コンピューティングの専門知識を有する者ならば全世界の誰でも参加できるコンペティション「Airbus Quantum Computing Challenge」を開始した。このコンペティションは、同社が設定した5つのビジネス課題を対象に、量子アルゴリズム開発を競うものである。同社は、コンペティションの審査を通じて、自社のビジネス課題を解決する量子アルゴリズムの知見を得られるだけでなく、全世界の参加者の中から優れたパートナーを選定できる仕組みを構築したと言える。実際にAirbusは、2020年12月にコンペティションの優勝者を決定した後に、優勝者との共同研究を進めている。自動車メーカーBMW(独)にも同様の動きがある。2021年7月から同12月にかけて実施されたコンペティション「BMW Quantum Computing Challenge」では、BMWの専門家らが量子コンピューティングの有効性があると特定した50ものビジネス課題のうち4つが競技対象として設定された。BMWは、世界中の70を超えるチームから提出された量子アルゴリズムを対象に、実現可能性、同社にもたらされる利益等について審査し、4チームの優勝者を決定した。今後は4チームそれぞれと共同研究を進めていくという。

8.開発した量子アルゴリズムの性能評価

量子アルゴリズムを開発できたならば、自社のビジネス課題に対する量子コンピューティングの有効性を確かめる。そのためには、クラウドベースの量子コンピューティングサービスを利用して、量子コンピュータ実機でのアルゴリズムの性能評価を行う。性能評価の対象は、量子アルゴリズムの実行時間、精度等のソフトウェア上の指標、コンピューティングサービス利用料金等のビジネス上の指標である。(あなたの組織が利用可能な)既存の最高速古典コンピュータと既知の最も優れた古典アルゴリズムを用いる場合と比較することにより、量子コンピューティングが古典コンピューティングを上回る、あるいは将来的に上回ることができそうかを確認するのである。

報告を受ける経営幹部が量子コンピューティングの価値を判断できるようにするため、ビジネスケースレポートには、量子コンピューティングと古典コンピューティングの比較結果のほか、そこから導き出される量子コンピューティング導入の投資利益率(ROI)を記載する。

一見荒野に見える量子アルゴリズムの空白地帯には、埋没している宝が確かに存在するようである。この地を探検する先進的なユーザ企業等は、成果を上げ始めている。金融機関Goldman Sachs(米)は、量子ソフトウェア企業QC Ware(米)との共同研究により、5~10年以内(2026年~2031年)に実現するであろう規模のNISQコンピュータ上で実行でき、古典アルゴリズムよりも100倍高速に動作するNISQアルゴリズムの開発に成功している。また、量子ソフトウェア企業Cambridge Quantum Computing(英。現・Quantinuum)は、既存の同種のNISQアルゴリズムと比較して、より少ない量子ビットのNISQコンピュータ上で実行可能で、10~100倍高速に動作するNISQアルゴリズムの開発に成功している。

9.量子コンピューティングのこれから

量子コンピューティングの技術進歩には、量子アルゴリズム、開発ツール、量子ハードウェアそれぞれの発展が必要不可欠である。ユーザ企業が量子アルゴリズムの空白地帯を探検するための新たな開発ツールは、続々と登場している。量子ハードウェア企業向けの開発ツール(ハードウェア設計ツール等)もあり、NISQコンピュータの改良を後押しする。実用性のあるNISQアルゴリズムの開発とその実行環境となるNISQコンピュータの規模拡大により、ビジネス課題の原因たる古典コンピューティングでは対応できない計算問題が現実に解けるとき、量子コンピューティングは更なる注目を浴び、資金や優秀な人材を引き付けることになる。こうしたエコシステムの好循環は市場成長を支え、ひいては大規模量子コンピュータの実現に繋がっていく。

ユーザ企業が発展途上にある量子コンピューティングをどのように捉え、自社導入を進めていけばよいかを推奨事項としてまとめ、本レポートの結びの言葉とする。

【推奨事項】
  • ビジネス課題の解決に「古典コンピューティングでは対応できない計算問題」が障壁となっている企業は、量子コンピューティングの応用を解決策の一つとして検討する。「量子アルゴリズムの空白地帯」から自社に適したNISQアルゴリズムを見つけ出すことができれば、大規模量子コンピュータでなくともNISQコンピュータを用いて古典コンピューティングでは対応できない計算問題を解くことができる可能性がある。量子コンピューティングの実用化を遠い未来の話と安易に捉えることなく、リスクとリターンを考えながら量子アルゴリズムの空白地帯を探検する。
  • 量子コンピューティングの自社導入は、「量子チームの組織」、「最新動向や応用事例のリサーチ」、「自社のビジネス課題を解決する量子アルゴリズムの開発」、「開発した量子アルゴリズムの性能評価」の4つの段階的プロセスとして行う。
  • 導入プロセスの後半に進まない判断を下した場合であっても、プロセスの前半、すなわち量子チームを組織(あるいは、大学等の外部機関と連携)して、最新動向や応用事例のリサーチに関する取組は継続的に行う。導入プロセスの後半にいつでも進めるよう将来のリアル・オプションを確保することで、技術革新に備える。

参考文献

  1. 1.
    McKinsey & Company, "Quantum computing: An emerging ecosystem and industry use cases", December 2021
  2. 2.
    Ernst & Young, "EY Quantum Readiness Survey 2022", June 2022
  3. 3.
    Classiq Technologies, "Quantum Computing: A View from the Trenches", October 2021
  4. 4.
    IBM Institute for Business Value, "The 2021 CEO Study: Find your essential", February 2021
  5. 5.
    Boston Consulting Group, Natixis, "Big Business Digs into Deep Tech", October 2021
  6. 6.
    Joseph Jenkins, Nicholas Berente, Corey Angst, "The Quantum Computing Business Ecosystem and Firm Strategies", January 2022, Proceedings of the 55th Hawaii International Conference on System Sciences (HICSS-55), pp.6432-6441

お問い合わせ先

IPA 総務企画部 調査分析室

  • E-mail

    ga-ra-dxwpアットマークipa.go.jp

更新履歴

  • 2023年7月20日

    2023年7月1日の組織改編に伴い、お問い合わせ先を更新