デジタル人材の育成
学び続けている実践者の方からお話を伺いました。
ご自身の組織や個人としての学びのご参考になれば幸いです。
中佐藤麻記子 氏
京都女子高校・旧大阪外国語大学イスパニア語学科卒業後、社内SE、トレーニング講師、組込みソフト開発サポートを経て、現在は株式会社豆蔵にてアジャイル開発・オブジェクト指向・UML・要件定義などのコンサルティング・トレーニング講師を主たる活動としている。2015年から2018年までAgile Japan実行委員。最初の会社で汎用機・オフコン・UNIX・Windowsと複数の環境にまたがって開発したことと、物事をメタレベルで考える機会が、その後の仕事のベースになり、今に至る(気がする)。主な執筆物:「これだけは知っておきたい組込みシステムの設計手法」(技術評論社・共著)、「ディシプリンド・アジャイル・デリバリー」(翔泳社・共訳)、他
昔の上司に「自分の仕事の時間のうち、6割はいま食べるための仕事をする。3割は将来のための仕事をする。そして、残りの1割はなんでもいいから自分のやりたいことをやれ。」と言われたことが、今でも頭の片隅に残っています。なんとなくその割合のイメージを頭の中に持っているので、半年や一年という長い期間において、9割をいま食べるための仕事をしていたら、何か間違っている気がします。学ぶという気持ちは、ある程度の余裕がないと持てないと思います。そのため、頭の中に上記の割合を持って、時間と心の余裕を作ることが大切と伝えます。
私は面白いと思うものだからこそ基本的に続けられるのだと思います。そのため、面白いと感じられるかどうかの一言に尽きると思います。私の場合、全然違う分野のものが、抽象化すると実は一緒だと思った時に面白いと感じます。例えば、小説を読んでいる時に、ITなどの他の分野とこれは同じことを言っているのだと思った時です。全然関係ないと思っていたものが繋がるときには、「おっ!」と思います。
自分の守備範囲の際(きわ)の部分に出会った時です。自分の守備範囲の真ん中だと、既に知っていることですし、守備範囲から離れすぎても違う世界の話になってしまいます。これは守備範囲を広げたいという意味ではないです。面白いと思う部分が、その際の部分ということです。例えば、質問という行為の中で、知っていると質問をしません。全く知らないと質問もできません。自分の守備範囲の際というのが質問をしたくなる部分だと思います。
また、守備範囲というのは自分の周りに1つだけあるのではなく、いくつかあるのだと思います。会社というコミュニティだけでなく、家庭や地域社会、それぞれのところにいる私は別の私です。仕事上、ITの分野では講師をしていますが、趣味である「お箏(おこと)」の分野では一生弟子です。立場の違う私が存在します。そういう異なる守備範囲の際がふとした時につながります。
正直、何をやっても学びだと感じます。例えば、いまインタビューを受けていて、基本は私が話すことを皆さんが聞くという場ですが、いったいどんなことを質問されるのだろうとか、こういう時はどうするのだろうというのは考えています。その反応や出てくる質問からも学べます。
できれば色々な手段で学びたいと思っています。どうしても1つだけと言われたら本になりますが、本という手段においても色んな分野に触れる、そうすることで他分野と結びつきます。本を読むこと自体に飽きることはないですが、特定の分野だけだと飽きることはあります。セミナーでも同じ分野ばかりを受講していると、どうしても同じ話ばかりで段々と飽きてきます。聞いたことがある話が多くなり、それこそ学びが少ない状態になります。そのため、できれば色々な手段で、あちこちから学びます。そして、それが面白いということにつながります。
とりあえずやってみます。やったことがないだけで嫌いなわけではないと思いますので、何とかなるだろうという考えで手をつけてみます。ありがたいことにITの分野では実装して結果がすぐにわかることが多いので、学びのサイクルが早いです。例えば、新しいプログラミング言語を学ぶ際、こう実装したらどうなるだろうと想像して、やってみて、その通りになったということが何回か繰り返されると、その言語に対しての理解が進みます。実際にやってみて、書いて動いたから終わり ではなく、なぜそうなるのか想像しながらやることが大切です。想像した通りになると、何となくその言語と仲良くなれた気がします。
やった結果がすぐに出ないということは、世の中には割と多いと思います。それはそういうものだと思っています。昔聞いた話の受け売りですが「何かをやったことの成果は、それをやったということだけ」という言葉が、ずっと頭に残っています。やったからと言って見返りを求めない、やったらそれをやったということだけが成果なのです。こうなるだろうという結果を期待するとそうならないこともあります。
抽象的な話と具体的な話を行ったり来たりすると理解が進みます。具体的な話である事例は、そのままでは個別の事象に当てはまりません。そこから一度抽象化して、自分たちの条件に合わせて再度具体化する必要があります。抽象と具体を行ったり来たりすることを、細かく教える側から行ってあげます。学び続けるコツでも話しましたが、思ってもいない具体と具体が同じ抽象だと気づくとワクワクするものです。
説明の際にあえて質問の余地を残して質問させる方が、理解が進みます。講師が説明したことではなく、自分で疑問に思い、聞いて、返ってきた答えの方が覚えているものです。
知らないことを「知らない」と言えない人ではないでしょうか。素直に知らないことを「教えてください」と言えず、そういう場面になると黙ってしまう。または、自分が知らない話題が出そうなところにはいかない人だと思います。せっかく知らないことを知る機会が目の前にあるのに背を向ける。そういう人は、知ることによる喜びや物事がつながるという経験を、今までしてこなかったのではないかと思います。そのため、そういう経験をさせてあげたいのですが、こればかりは自分から掴みに行く必要があると感じています。
生きることです。息をして、そこらへんを歩く、それだけでも周囲から何かしらの情報を得ています。息をすることに関して、「これは学びだ」とは普段感じていないと思いますが、それを学びだと思えたら全てが学びになります。学びだと思わないことで、取りこぼしていることがたくさんあると感じます。