デジタル人材の育成

学びのススメ vol.1

学び続けている実践者の方からお話を伺いました。

ご自身の組織や個人としての学びのご参考になれば幸いです。

川口恭伸 氏

アギレルゴコンサルティング株式会社シニアアジャイルコーチ。一般社団法人スクラムギャザリング東京実行委員会代表理事。一般社団法人DevOpsDaysTokyo代表理事。北陸先端科学技術大学院大学修了ののち、金融情報サービスベンダー(株)QUICKにてデータメンテナンス/システム開発、プロダクト/サービス企画開発、仮想化インフラ構築などを担当。2008年スクラムに出会い、パイロットプロジェクトを始める。
2011年イノベーションスプリント実行委員長、2011年からスクラムギャザリング東京実行委員。2012-2018年楽天にてアジャイルコーチ。楽天テクノロジーカンファレンス2012-2017実行委員。
「FearlessChange」「ユーザーストーリーマッピング」監訳、「Joy, Inc.」「ScrumMaster theBook」共訳、「アジャイルエンタープライズ」監修。認定スクラムプロフェッショナル。ジム・コプリエン、ジェフ・パットン、ミッチ・レイシー、スージー・ショコバ、マイケル・サホタなど、認定スクラムトレーニングの運営・共同講師経験多数。

Q.川口さんのようにうまく学び続けたいと後輩等に言われたら、何が大切だと伝えますか。

時間を取ること。正確には、時間の取り方を勉強することです。本を読むにしても、勉強会に参加するにしても、YouTubeを視聴するにしても、何をするにも時間がかかります。多くの人が学ばない一番大きな要因は、学ぶ時間が取れていないというのがほとんどだなという感覚があります。

Q.学びの視点の取り入れ方について教えてください。

ゲームも学びの視点で考えます。例えば、『フォートナイト』というゲームがありますが、ゲーム業界において世界最大の収益をあげています。普通に遊んでいる分にはそこまで課金されないですが、なぜ儲かるのかというビジネスモデルに関して、身をもって体感することで学びがあります。
また、最大4人チームで行うシューティングゲームですが、老若男女がみんな楽しめるチームの組み合わせをどのようにマッチングで行われているのか等の仕組みに関して、それがどうやって実現されているのか探りながらやっています。ゲームが終わった後は、指示の出し方や戦略等に関しても振り返りをしていて、指示の仕方を勉強したりできます。

Q.学びにおいて大切な気持ちは何ですか。

ちゃんと悔しいと思うこと。これが大事です。悔しいと思うポイントは自分の実力によって異なります。素人の時は単純なことが原因だったりしますが、上手くなってくると自分の読み違い等、悔しさの質が変わります。
また、悔しいと言っても、「もう嫌だ!」と諦めてしまうほどのものではなく、チッと思ってしまう感じが重要です。もう悔しい思いをしたくないからもっと頑張ろうと思える悔しさがポイントとなります。できると思っていたことが現実ではできない、そうなってくるとその差は何だったのか、何か知らなかったからなのか、練習が足りなかったからなのか、等を押し付けられずに自分でぐるぐると考えてしまう。それが次もやろうというきっかけになります。

Q.次に学ぶことの見極め方について教えてください。

わかるという話とわかった先のできるようになるという話は別段階ですが、どの領域をできるようになりたいかは自分の選択になります。私の場合は、何も考えてはおらず目の前にあるやりたいこと、できそうなことをやっています。そこは感覚に従っています。やりたいと思った時に、それがなぜなのかを考えないようにしています。あまりにやりたくないことをやってしまうと、非効率でレジリエンスが低いです。意に沿わないことをやるためのエネルギーは限られているので、結局や らなくなります。
ただ、好きなことをやるという表現は好きではありません。好きという言葉はアーティフィシャル(人工的)です。好きと考えずにやるのが好きということだと思います。好きというのは発見されることであって、作り上げることではないです。私はこれが好き、と言ってしまうのは、恋に恋してしまっている感じがします。

Q.学ぶためのきっかけについてアドバイスがあれば教えてください。

きっかけの1つが、現状が良くなることだと思います。放っておいても学ぶ人はいいですが、それ以外の人にとっては学ぶことに対して実利が欲しいと思います。実利が見えていて、その先が広がっているとわかっていれば学んでみようとなります。そのため、自分の仕事に近しいところで、なぜそのような仕事が発生するのか根本の仕組みを学ぶと良いと思います。学ぶことで意思決定の幅が広がるため、学んで損をする人はいないです。
また、これは私の体感からですが、学びは積み上げなのでわかってくると面白いです。物事に対する興味の差というのは、大概の場合は知っているかどうかです。情報がないから共感できないだけということがほとんどです。知っていればもっと知りたくなりますし、情報がひっかかるようになります。

Q.学び方について教えてください

(1)ありがとうにつながる学び

自分が知っている情報を教えてあげることで「ありがとう」と言われると嬉しく感じます。そして、その情報を教えてくれた人にも感謝の気持ちを抱きます。このように学び合うことの良さをすごく感じています。その観点からコミュニティが大事であり、それ以外で学ぶのは難しいと感じています。
学びたい分野が決まっている場合は、大学などで学ぶこともあると思いますが、学びたい分野がまだ決まっていない場合は学び始めるきっかけがみつかりづらいものです。コミュニティでは、誰か頑張っているプログラマーの人がこんなことを学んでいるという情報共有があったら、ちょっと自分も学んでみようというきっかけになります。また、相互に学び合うことで、建設的相互作用もあります。人に聞かれて説明を言語化したりするため、学びに対する理解が深まります。

(2)学びは投資したら返ってくる

就業前は自分でお金を出して学んでいたのに、社会人になってお金をもらえるようになったにも関わらず、全く学ばないのはおかしいと感じました。そもそも、会社からもらう給料には勉強代も含まれていると考えるべきだと考えるようになりました。会社が負担してくれないから研修等に行かないという考えの方もおられると思いますが、私はそこにこだわらないほうが良いかなと思います。
例えば、資格取得に関して、日本企業は意思決定が合議制なので会社がやれと言うタイミングは基本的に遅くなります。そのため、最先端ではない資格の取得に対してしか補助がありません。なので、会社内で初めて取得することになるような新しい資格は自分で費用を出してやる方が早いです。
そうすることで、会社の中で(その狭い分野で)1番になれます。それが社会の中で1番だともっとお得です。勉強はそういうところがあります。自己投資したコストから利益を得るゲーム理論に近いです。

(3)自分の中に学びを再現する

何かを知っている人に教えてもらった時に、そのまま転写はできないので、自分の中で翻訳しないといけません。そのためには、何を原動力にしているのかなど、その人の思考に触れないと自分の中に学びを再現できません。ですから、テキストだけから学ぶよりも、直接、人から聞く方が学びやすいと思います。他人がどのように考えているかも興味深く理解が深まります。
このように私の場合は、アウトプット(成果物)から学ぶのは難しいので、インプットから学ぶようにしています。例えば、アウトプットの代表格は本を書くことですが、本というものは時間をかけて濃縮して作られているため、解凍にも時間がかかります。人類のアーカイブとしてはとても有用ですが、少なくとも私はそれほど多くの本を読みこなすほど、意思を持続することができません。
だから本だけで学ぶのは難しいと感じています。学びの結果だけでなく、いろいろな人がどのようにインプットしているのか、そのプロセスや失敗・工夫も含めて一緒に考えながら共有していく場が必要で、その役割をコミュニティや勉強会が果たすと考えています。

(4)物事を捉えるときに抽象度は上げない

例えば、ナポレオンが勝ったと言われても、世界史を学んでいない人にとっては、なんのことだかよくわかりません。当時の経済がどのような状態で、銃の発展がどうなっていて、フランス革命がどんな理由で起きて、などの事象は抽象度が下がるほど面白くなります。なぜそうなるのか理解できるようになります。そうすることで、日々の社会を理解していくことが面白くなります。

(5)ルールを外す

自分でこれをしてはいけないと考えているルールを外してみることで、世界が広がって面白くなります。さまざまな制約を自分で作ってしまい、頭の中が狭くなっている時に、それを外してもらうようなアドバイスをもらうと「ふっ」と楽になることがあります。こうした、ちょっと精神を解放するようなことが学びにつながることもあります。

Q.けっきょく学びとは何だと思いますか?

人間の「業」(ごう)だと思います。知らなかったことを知るとアハ・モーメント*が起きます。そこに理屈や理由はいらないと思います。しかし、学んでも所詮はどこかで人間は死んでしまう。(どうせ死んでなくなるのに)なんてムダな作業をしているんだろう、と感じます。それでも、人間は学び続けます。そういう風にDNAに組み込まれているのではないでしょうか。それが、人間が栄えてしまった理由でもあると思います。
*アハ・モーメント:Aha Moment
なるほど!と納得したり、気づきを得る、喜びの瞬間