デジタル人材の育成

学びのススメ vol.12

学び続けている実践者の方からお話を伺いました。
ご自身の組織や個人としての学びのご参考になれば幸いです。

虫明元 氏

東北大学大学院・医学系研究科・教授で専門は,脳神経科学.特に行動調節に関わるシステム脳科学、主に前頭葉を含む大脳皮質の働きを研究している。これまでの研究では、行動中の動物より記録した細胞活動記録で主に前頭葉に関して明らかにしてきた。前頭葉の「カテゴリー細胞」、「先読み細胞」、「間を測る細胞」、「驚き細胞」、「行動戦略を表現する細胞」、頭頂葉では「ゼロを認識する細胞」等を論文とプレスリリースで発表している。
また共同研究では医工学者と生理機能計測機器の開発や数理神経研究者とは複雑系から脳機能の理解を試みている。教育では神経科学に関する医学部、大学院における専門教育以外に,高校での出前講義や一般向けのサイエンスカフェなどの教育活動を積極的に行っている。2016年ころ自らも即興再現劇を学び、演劇的手法を用いたコミュニケーション・ワークショップを行い,演劇関係者との連携で社会情動スキルを育成する新しい学びの開発・実践に取り組んでいる。著書に『学ぶ脳ーぼんやりにこそ意味がある』 (岩波科学ライブラリー)、『前頭葉のしくみーからだ—心—社会をつなぐネットワーク』(共立出版ブレインサイエンスレクチャーシリーズ8)等

Q:虫明さんが若い人から、虫明さんのように学び続ける大人になるためには何が大切か、と聞かれたら何と答えますか?

好奇心と疑問を常に持ち続けることです。小さい頃は疑問をいっぱい持っています。大人になるにつれてわかってくることも増えますが、わかっているという感覚で疑問に蓋をしてしまいます。大人になっても、何でこうなるんだろうと素朴に疑問を持つことをやめないことが大事です。研究や生活の中で壁にぶち当たったときには、ある種の固定観念に陥っていて先が見えなくなるということがよくあります。わかったと思っている時に、もしかするとそれは思い込みに過ぎないという危険な状態かもしれないのです。ものごとはそんなに簡単にわかるはずがないのですから、学びにおいて常に問い直したりして考え直すことが必要です。そのためにも、常に好奇心で新しい可能性を見ていく。これは脳科学的にも大事なポイントだといえます。

Q:好奇心や疑問を持つ大人が少ない中で、どのようにすれば好奇心を維持することができますか?

毎日の生活は、本当は不思議なことに満ち溢れているのです。しかし、一方では日頃、自分たちの行動が習慣化してしまい、ステレオタイプな日常になっています。すぐスマホを見たり、次から次へと刺激に反応しているだけで、改めて立ち止まってみることがなくなっているともいえます。私は、ステレオタイプな行動を止めて、あえてぼんやりする時間、間(マ)を置く時間を大切にしています。そこから自然に心に浮かんでくる疑問や発想に対面する機会を得るのです。そうした時間を1日に何度か持つのが、新しい考えを持つきっかけ、学びのきっかけになると思います。

Q:そのようなぼんやりした時間や余裕のある時間を持てたときは、どんな風に過ごしますか?

瞑想とまでは言いませんが、最近あったことをイメージしたり、そこから連想して繋がりのあるものを頭に浮かんでくるのに任せて思い描いてみます。そこで疑問に感じたことを、つぎに実際に手を動かしたり調べたりして行動することに移していきます。実際に何かするというフェーズとぼんやりするフェーズとを意識して分けて行い、交互に行ったり来たりすることが大事です。

Q:好奇心や疑問を持ち続けることが大切だと気づいたきっかけはありますか?

大学時代、医学部にいたのですが、色々な先生がさまざまな発想で仕事をしていて、ある医学部の先生は、なぜか工学のことがよくわかっていたり、別の先生は哲学のことを一緒に考えていたり、ひとりひとり研究や学びのスタイルが違いました。高校まではある程度似たようなスタイルの学びだと思うのですが、大学に入って色々な学びのスタイルの人たちがいると気づきました。社会に出るとさらにもっと色々な人々がいると気づきます。そうした色々な人たちと出会ったことで自分はわかっていないと気づきました。
色々な人と出会い、その人だったらどう感じるだろうかと想像してみて、興味をもち、自分と違う考えをもっている人を大事にしています。自分にあまりに確信がある、すべての周りの人を自分のようにしたいという先生も時にはいますが、そうなると人材育成の点では袋小路に入ってしまうのではないでしょうか。色々な人にオープンになって、自分から入っていく。そうした環境の中で、ぼんやりしてみると、自分の視点とは別に、こういう人ならこんな視点で考えるかもという発想ができるようになってきます。自分が一人でぼんやりしているはずが、実は色々な人の視点でさまざまな可能性を考えている!そういう出会いと視点を自分の中に取り込んでいくことで、好奇心にも幅が出てきます。

Q:そのような様々な人との出会いのチャンスはどのようにつくっているのですか?

そうした交流や出会いの場は、やはり「縁」として飛び込んでくる感じですね。何かのきっかけで自分は脳のことを研究していて、医療関係の人と会うことが多いのですが、『学ぶ脳』(岩波書店、2018)という本を出したとき、周辺のソーシャルワーカーの人たちと出会うことが増え、その方たちの考え方に触れて感動しました。そうしていると、その中からまた、DVで苦しんでいる人のための施設の方たちとの交流につながり、その人々の視点も学ぶことができるようになりました。脳の研究を通して認知症ケアの人たちのコミュニティとつながったりもしました。このように、新たなコミュニティに参加してみるというのはとてもよい学びの機会です。億劫に思うこともあるけれど、それを乗り越えてとりあえず行ってみることが大事です。
それから自分でも意外だった出会いは演劇です。理系の自分がもっとも縁遠いと思っていた世界。自分はどちらかというと内気なので、まず無理と思っていたのですが、なぜかその世界に飛び込むことができました。演劇では、今まで使っていなかったさまざまな脳の部分を鍛えることができることもわかってきました。演劇には、鑑賞ではなく自分でも演じてみるという中に、普通には得られない学びの要素がいっぱい含まれています。ここ5-6年の気づきの中では、演劇との出会いで得たものが一番大きい気がしています。

Q:自分に馴染みのない環境に飛び込んでいくのはなかなか難しいと思うのですが、一般の方へのアドバイスはありますか?

やはり、普段から好奇心をもって、自分は何をしたいのか・何に関心があるのかを、見たり感じたりしながら考えておくことだと思います。そうすると出会うきっかけが生まれていきます。そこを深掘りしていくと、自分でもやれそうな、そして参加できそうといった場が世の中には存在していることに気づくはずです。それらは自分から探していかないと見つかりません。周りの人たちとの出会いから、教えてもらったり誘われたりした時に、「うん、やってみようかな」と思えたら、積極的に行ってみることが重要です。行く場所は、たとえば参加型のワークショップで、自分も話したり交流できる場がよいです。自分の関心点と新たなものとの組合せを素直に認めて深めていくと、そこから新たな人との出会いもできてきます。たとえば、最近たまたま美術館の公開講座に行ってみたら、街や建築物がどのようにつくられていくのかに興味を持つようになり、調べていくうちにそのプロセスが脳と似ているなと感じました。脳と人が作る街との間に共通性が見いだせる、という新たな気づきにつながったわけです。

Q:ひとりで学ぶ学習スタイルについてはどう考えていますか?

自分は英語の文献や書籍を読むようにしています。日本語以外の外国語を知っておくことは重要です。若い頃、日本語で哲学の本を読むととても難しいと感じました。それが外国に行ったときに、英語で書かれた哲学の本をたまたま読んでみたところ、こんな普通の言葉で書かれているんだ、と気づき驚いたことがあります。日本語に翻訳される際にむずかしい表現になっているものも、英語では日常的な単語や表現で書かれていることが多いのです。カルチャーや発想の違いに気づくことができます。このズレの感覚はとても大きいと思っていて、日本にいて日本人として発想するだけでなく、外国語で他の地域の頭で発想する、というのは視点を広げることにもつながり、とても大切だと思います。たとえば「共感」を表わす言葉には色々あって、日本語では共感とか同情とか言われますが、英語でシンパシーという場合は相手と距離があっての相手の状況をとりあえず理解すること、エンパシーは共感ですが二つの意味があり、エモーショナル・エンパシー(情動的共感)は相手の気持ちに自分も同調する、コグニティブ・エンパシー(認知的共感)はたとえ自分と他者は考えが異なっていても、相手の視点から見える気持ちや認知を理解し共感する、さらにコンパッションは相手に対して共感しさらに手を差し伸べるなど行動に結びつく支援的な意味があります。こうした言葉の感覚・情緒的な背景はなかなか理解しづらいですね。英語で理解すると、そうした文化の違い、意味の多義性、難しさを学ぶことにも繋がります。
また、個人の学習方法として、オーディオブックの活用もお勧めです。耳から聴くというのは結構新しい体験だと思っていて、自分の中の違った部分を活用する学びと言えます。たまたまドストエフスキーについて書く必要があって、思い切って英語のオーディオブックで彼の小説を聴いてみました。何が違うかというと、語り手が役になりきって読んでくれるので、気持ちの動きがよくわかることですね。役に応じて複数人でドラマ仕立てて読んでくれるオーディオブックもあります。最近は、本当に恵まれた時代になったと思いますね。視覚だけでなく聴覚も使って立体的に学習ができるのですから。

Q:学習を進める際に気をつけなければいけないことはありますか?

自分が興味を持っているテーマや学習方法について、よいと思うものを色々探すことは大事です。ただし、世の中には情報があまりにもたくさんあるので、自分の中から湧いてくる感情や思いを常に意識したうえで、サーチしていかないと情報の海に溺れてしまいます。常に好奇心の幅を広げて、自分は何がしたいのか・何に関心があるのか、立ち止まってぼんやりと考える時間をもちましょう。気をつけないといけないのが、表層的に好きな情報だけ集めてしまう・自分が見たいものだけを見てしまうことです。
そうしたときに大事なのが4つのCと呼ばれる思考方法です。コラボレーション(協働)、コミュニケーション、クリティカルシンキング(批判的思考)、クリエイティビティ(創造性)の4つです。とくにクリティカルシンキングは批判的思考と訳されることもあって相手の考えに「批判的」にものを見ていくことと捉えられがちですが、まずは自分の考えや視点にバイアスが掛かっていないか自分で自分の視点を確認していく、そのために色々な人の視点が必要で複数の視点を身に着けて考える能力をもつ、ということです。
最初の2つのCでみんなと対話しながらコミュニティとして色々な人のさまざまないろんな視点との出会いを通じて学びを進めながら、ときに自分の中の複数の視点で自己確認をしながら、「ぼんやり」と「実践」をサイクルで回しながら新しい考えを生み出していく。こんな風にして、自分に合った学びを身に着けていけるとよいですね。

Q:演劇というのは学びにとってどのような意味があるのですか?

私が関わっているのは、即興再現劇(プレイバック・シアター)です。参加している人の話を聞いてその直後にその場で、話の内容を複数人で即興で演じるのです。つまり、ある人の話や体験から、その話し手の気持ちのエッセンスを捉えてその場で再現することが求められるのです。これは究極の追体験です。そうすることで、自分の中に別の人の視点が身体を通して入ってくる。そうした即興劇を演者以外の人たちはすぐ脇で見ています。自分や他人の話を別の人たちが演じている様子を外から見られるわけで、これはメタ認知です。知識を得たり問題を解いたりといった行為以外の身体的・社会的・人間的な学び、新しい視点を得たり、自分を外から見る、といったことを自然に体験できる場がここにはあります。

Q:普通の人がすぐに演劇に飛び込むのはなかなかむずかしいと思いますが。

日常においても、色々な人と話をする機会があります。そんなときに、相手の視点で今どういう風に見えているかを質問しながら会話していき、相手を受け入れて、「相手になっていく」ということを意識して行うことがよい練習になります。話をするときに、自分が話したい話をしてしまう、言いたいことを吐き出して終わりではなく、結局は「聴く力」が大事だということです。人の話を単に聞くのではなく、その人が見ているもの、その人の背景を同時に学んでいく。そうすることで、自分自身もいろんな豊かな視点を得ることができるのです。
残念ながら、教育の場においては、よいプレゼンのトレーニングはありますが、よい聴き方のトレーニングはないですよね。いい発表をしてアイデアを人に伝えることも大事ですが、周りの人の話を聞いて受け入れることで、その人の見える世界が、自分の中で別の世界になり、世界を豊かにするのです。それが次の学びにつながります。そのような場は、日常のあらゆる場所に存在しています。家庭でも、職場でも、学校でも、なんとなくわかっていると思って終わりにしないで、相手が何を感じ何を考えているかを聴く時間をとることが大事です。

Q:演劇の話を聞いていて、これはアジャイル開発にとても似ているなと思いました。システムのデザインやプログラミングがホワイトボードや画面とキーボードをとおした身体活動だというだけでなく、プランニングセッションやペアプログラミングやモブプログラミングをとおしてメンバー同士が教え合う・学び合うことを通して新しい価値を含むソフトウェアを生み出す自己組織化されたチーム、というまさに演劇的な場が自然に生まれていると感じました。

まさにそのとおりだと思います。結局、学ぶとか言ったときに個人のスキルと考えがちですが、世の中は複雑で自分ひとりで見える範囲は有限です。色々な人とコラボすることで圧倒的に知性も能力も高まります。今後、このような活動のスタイルは、ソフトウェア以外にも広がっていくことが必要と思います。そのようなコラボレーション、ファシリテーションの力を早い段階から育成していくことが今もっとも必要ではないかと感じています。

Q:またアジャイル開発では、顧客の気持ちになってナラティブ思考でユーザーストーリーを考えるモードと、機械の気持ちになってプログラミングするロジカル思考のモードが、交互にやってくるのも脳の活動に似ていると感じました。しかも、そうした活動の中で、感情と身体と論理が混在しながらチームが動いていく様子があります。

まさにナラティブ思考とアナリティカル思考の両方のモードを切り替えながらやっていくのは人間の脳の活動と同様ですね。また人間の脳の中で、爬虫類脳とか哺乳類脳とか階層的に考えがちですが、それは正しい理解ではないと思います。たとえば記憶に関連する辺縁系の部分は従来原始的なものと思われていたのが、実は高度な機能とも結びついています。結局、脳の働きの興味深いところは、一か所が1つの機能ではなく、色々なものが結びついて多数のネットワークとして、切り替わったり、連携してたりして働いている点だと思います。例えば、身体の感覚と動きに関わるネットワーク、内臓の知覚も含めて情動を処理するネットワーク、人の視点で心の動きとしてとらえるネットワーク、対象を事物やカテゴリーとして言語化するネットワーク等々、脳の中には多数のネットワークがいわば自己というチームを構成するパーツとして働いています。別な言い方をするといろいろな特徴的な働きをするメンバー(パーツ)が集まりチーム(全体)となって働くことが脳の学びとしては自然なんですね。

Q:最近話題になるAIとの付き合い方は脳科学的にどう考えられますか?

わたしは今、人工知能と人間の共生というテーマで研究している人とコラボレーションしています。先ほどまでは、人間と人間とで色々な視点をもつという話でしたが、人間と機械との間でも同じことが必要になるかもしれません。人工知能やロボットは単なる機械に過ぎないということではなく、人間の一部になってきているので、人間と人工知能とでどうコラボレーションするべきかと考えていく。人間との共生の延長で人工知能の視点に立って感じ考えてみる。結局は、人間のことを知っていこうというマインドセットになってきます。未来社会を考えるうえで、人間科学と情報科学や脳科学の融合した新しい学びのあり方が見えてきます。

Q:これからの時代に必要な教育とはどのようなものでしょうか?

日本の今までの教育は、正解が1つでその決まったストライクゾーンに向けてみんなで同じやり方ができるようにするものでした。そこから外れると失敗とみなされて否定される。会社に入っても、自分で考えて判断して仕事をする機会は少ないです。ある意味、学びやキャリアのあり方が、企業や組織の縦割り構造に依存してしまっているのです。これからの教育では、文系・理系と分けないほうがよいです。これからの時代は理系も文系も実際にどちらも重要です。アートと人文知と理工数学が融合した教育、いわゆるSTEAM(science,technology,engineering,art,mathematics)を受けることがイノベーションには必要だと思います。それから、今まではある型にはまった、一つの次元で数値評価できるような人材育成を目指す傾向が強かったと思います。または自分のコピーのような人材をたくさん育てるという志向性が強かった。ところが、今の世の中で必要なのは、多様な視点を持った、多様な能力をもつ人材です。これが厄介なのは、自分と違う人材を育てないといけないという点です。そんなの育てようがないと責任放棄しがちだけれど、自分には今は理解・納得できない部分があってもその視点は大事そうだなと受け入れ、強みを伸ばすマインドを持ったカルチャーを育てていかないといけないと強く思います。

Q:ぼんやりする時間が大切とのことですが、どうやってその時間をつくればよいのでしょうか?

とりあえずスキマ時間の活用をしてみてはいかがでしょうか。電車での移動時間とかにも、スマホを見るのではなく、敢えてぼんやりする。お茶の時間、散歩の時間を意識して作るといったことが大事です。寝る前のちょっとの時間を大切にするのもよいですね。脳科学では、レム睡眠は日常の記憶を固定化していく役割があるだけでなく、脳の中で学んだことを整理するとともに普段使っていないところを活性化して、ある種の探索を行って可能性を探っているといわれています。ぼんやりすることは経験の整理であるとともに、可能性の探索でもあるのです。そして睡眠は究極のぼんやりだと言えます。ですから、まずは睡眠は大切にしてください。
ぼんやりする時間がないと、大事だけれど弱い脳内のネットワークを賦活化するタイミングを逃してしまうのです。それは人と人のつながりのネットワークに関しても同じことが言えます。会社(上司と部下、同じ部署)や学校(先生と生徒、同じクラス)の中の強いつながりではなく、人と人の弱いつながりを活かすスキルがこれからはとても大事になります。そうした人との「弱いつながり」を「強いつながり」によって搔き消されないよう、縦割り組織、いわゆるサイロ化した強いつながりの組織を横断したり組織外の人との弱いリンクをつないでいくようなスキルや方法を意識して身に着けていくことが必要です。

Q:一歩を踏み出そうとして踏み出せない人が多い中で、どうすればよいですか?

さきほど4C(コラボレーション、コミュニケーション、クリティカルシンキング、クリエイティビティ)という話をしましたが、自分はこの4つに加えてもう1つのCとして「ケアないしコンパッションCare/Compassion」が大切と考えています。ケアもコンパッションも人に対する支援、人のために何か役に立つ、ということです。生活の中のどんなところにもケアやコンパッションの要素はあります。人に教えてみることで却って自分が相手から教わる要素が大きい。人助けをしてみて初めて自分がいかに社会で助けられているか感じ直す、チームメンバーの相談に乗るだけでも結果としてチームのムードがよくなり仕事がはかどる、といったことがあります。コンパッションとは日本語だと思いやりなどと訳されますが、英語の意味としては、共感性の中で最も相手への関与(エンゲージメント)が高く、支援的共感性とでも呼ぶべきと思います。これが結果としては支援する本人の自尊心を高めたりするのです。さまざまな人に影響を与える利他的な行いが実はモチベーションにもなります。それは他者の視点を学び相手の困りごとを想像し何かしてあげたいと思うことによって培われる社会脳といっていいかもしれません。お互いの関係性のなかで相手のケアをすることが同時に学び合いの場となり、自然なコラボレーションになるわけで、大事なのはそのような場が自然に生まれてくるようなファシリテータ役になれる人を育てていくことです。実は、脳科学の知見として、脳の中に多数の自己のパーツがあるがリーダーはいない、あえていえば脳の中にあるのはファシリテータのような連携を助ける働きだけといわれています。

Q:世界の中でも日本人の自尊心が最下位というアンケート結果が出ていますが、これはどう理解すればよいでしょうか?

自尊心の低さは孤立の度合いと関係していると思います。日本人が色々な人とコミュニケーションをとることが苦手ということではないでしょうか。結局、自尊心は自分ひとりでは生まれてこない。人とインタラクションする中で出てきます。人とどれだけの時間を過ごし、人とのインタラクションの中でどれだけ承認するか、そして承認されているかが関わっています。日本人はお互いに褒め合うことが苦手です。改善点は指摘できるが、強みを引き出すのでなく弱みを改善するのを基本とする人たちです。アジャイルや演劇では強みで勝負するしかない。どう強みを引き出すかがグループワークでは重要となります。お互いに認め合って強みを伸ばす、違うことを評価して認められる、違う視点・いろんな観点を面白いと思えるようなカルチャーを育んでいくしかないです。こういう点で演劇的な教育方法はヒントになると思います。

Q:最後に、虫明さんにとって学びとは?

生涯にわたって続く活動です。生まれてから死ぬまでが学びです。人生の最後には、加齢に伴い認知症や病気になることも多いですが、いかに生きるかも最後の学びだと思います。そうした状況の中では、コミュニティとしての学びも問われていると思います。そんなときにも、人はどんな風に状況を受け入れて進化すればよいのか。それに相応しい学びは何になるのか。結局学んでいくことが生きていくことにつながっていくのだと思います。