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2005年度未踏ソフトウェア創造事業  (未踏ユース) 成果評価報告(プロジェクト全体について)



 プロジェクトマネジャー:  竹内 郁雄  ( 東京大学大学院教授 )



1.プロジェクト全体の概要

竹内は2000〜2001年度の未踏ソフトウェア創造事業 (以下,随時「未踏本チャン」と愛称する) のPMを勤め,力がありながら,きちんと評価されたり,助成されてこなかったような方々の手助けをしてきた [参考文献: 竹内郁雄,未踏ソフトウェア創造事業とは ― 組織力から個人の才能へ,情報処理,Vol.43,No.12,pp.1353-1361,2002].
 2002年度の報告書にも書いたように,日本のソフトウェア産業の力あるいはソフトウェア創造力を根底から底上げしようとするならば,もっと若い,いまだに誰も知らなかったような人々を早い段階で発掘し,彼らに自信をつけさせ,やる気を出してもらって,次の日本のソフトウェア世代を背負ってもらうようにするべきである.
 サッカーと同様,欧米に勝てないと勝手に決め込んでいるソフトウェアの分野も,若いうちから,才能のありそうな人にどんどん自信をつけてもらう,包容力のある諸施策を実施すれば巻き返しが可能である.これは私の独りよがり的な考えだが,まさに未踏ユースはこの考えにピタリと合致していた.
 未踏本チャンのサブの事業として,PMが1人という小規模な体制で始まった未踏ユースであるが,2002〜2004年度にわたって得られた成果は,むしろ時間が経過するにつれて予想以上に大きく膨らんできた.
 筧PMとの2人体制の基本方針は初年度の2004年度とほとんど変わっていないが,より緊密に連携するようになった.プロジェクトは両PMで10件ずつの担当に分けたが,機会あるごとにクロスでプロジェクトの指導を行なうようにした.すなわち,両PMがそれぞれの独自性を生かしつつ,いろいろなところで相互に口を出し合うという形態である.特に,中間報告会を1月初旬のプログラミングシンポジウムの場を借りて行なったのは,フォーマルな形ではなかったが,むしろ開発者には情報交換と人の輪を広げる効果があった (プログラミングシンポジウムを乗っ取るなという希少意見もあったが…).
 また,開発者を現場訪問する際,筧PM担当のプロジェクトの開発者がその近辺にいる場合,そこに足を伸ばして話を聞く機会を設けた.
 両PMの協調体制の具体的方策は,

(1) 応募で申請者がPMを選べないようにした.
(2) オーディションは両PMが共通で行なう.
(3) 採択については,分担も含めて,両PMで相談する.
(4) ブースト会議や報告会など,みんなが集まる機会をなるべく共通にする.
(5) 機会をとらえて他のPM担当の開発者にも積極的にコメントする.

である.このため,今年度も応募におけるPMメッセージでは両PMとも敢えて採択分野に対する詳細な指定を行なわなかった.そもそも,どんな提案が出てくるかわからないところが面白いのであるから,未踏本ちゃんと異なり,分野を詳細指定すると未踏ユースにはむしろマイナスになるであろう.
 とはいえ,採択基準には両PMの個性が現れる.どちらか一方のPMが採択すればOKということにしたのは,正しい仕組みであった.実際,今年度の最終成果報告会でも,竹内はそのことの意義深さを思い知ることができた.すなわち,私が不採択としたものでも,最終的には私を驚かせる成果が出ていたものがあった.例によって,走りながら考えるという未踏の「良き伝統」で,いろいろなことをエイヤと決めた割りには,結果としてかなり良い事業スキームになっていたのではないかと思う.2006年度の未踏ユースも今年度の2人のPMが続投することになったが,公募要領で改めないといけないことはほとんどなかったというのがそれを物語っている.
 このような公募型の事業で数多くの採択プロジェクトがある場合,ある程度の見込違いは避けられないが,今年度も残念ながら1件それに該当するプロジェクトがあった.開発代表者が体調を崩してしまい,思うように進展しなかった.大きな成功を狙うということは,失敗の危険性も高いということである.

 



2. 応募状況と採択時の評価 (全体)

 1. 募集について

 前年度と同じく,公募要領には両PM共通のメッセージと各PM固有のメッセージを掲載することになった.前年度とはそれほど違うところはないが,応募者のPM選択に可能性を残したこと,共同開発者がいる場合の役割分担について記載してもらうことなどが追加された.

(注)上記2005年度PMメッセージについては既に公開済みの「PMメッセージ」を参照ください。(IPA未踏事務局より)

 2.応募状況

 公募は2005年5月31日(火)が締切りであった.
 応募総数は61件である.ただし,同一人による重複申請を除くと,59人からの応募だった.なお,1件は,申請者が未踏本チャンで採択が決まっており,審査をしなかった.
 応募総数は前年度とほぼ同数である.このようにやはり3倍以上の倍率は欲しいものである.もっとも,これより倍率の低かった2002年〜2003年度に,スーパークリエータが一杯いたことを考えると全体の質が倍率だけでは決まらないのは事実である.
 未踏本チャンとの重複による辞退は1件のみであり,同時期の公募の効果はあったと思われる.
 今年度も高校生,および高校中退の17歳から応募があった.ただし,前年度と異なり採択には至らなかった.また,今年度は女性からの応募が昨年に比べて激減(?)した.前年度,採択された開発代表者3人が女性だったのに,今年度は応募の中で申請代表者1名,共同開発者3名のみであった (うち,女性の共同開発者を含む提案は2件採択された).

 3.書類審査

 これには筧PMとのいろいろな合議が必要であった.オーディションの件数を30件を少々に超える程度にしないと,日程の都合がつかないからである.まったく合議のない段階では,

・竹内PMが通過としたもの (A) : 32件
・筧PMが通過としたもの (B) : 22件

・両PMとも通過としたもの (AとBの交わり) : 14件
・少なくとも一方のPMが通過としたもの (AとBの結び) : 40件

であり,このままオーディションに進むと40件の面接を行なわなければならない.その後,両PMで簡単な書類審査メモを交換した結果,少なくとも1人のPMが通過と考えた応募をまとめたのが次の表である (プロジェクト名は伏せてある) .表の読み方は,竹内PMのみが書類審査パスとしたものはnpass,筧PMのみのものはkpass,両方がpassのものは+passと書いてある.その後ろは,竹内PMの最初の評価 (AA,A,B+,B,B-,Cの6段階) と,筧PMの評価 (通過,―,不採択の3段階) である.

    +pass AA 通過
    +pass A 通過
    npass B+ ―
    +pass B+ 通過
    npass B+ ―
    kpass B- 通過
    +pass B+ 通過
    +pass B+ 通過
    npass A ―
    npass A ―
    +pass AA 通過
    npass A ―
    +pass B+ 通過
    +pass B+ 通過
    +pass A 通過
    kpass B- 通過
    +pass A 通過
    +pass A 通過
    npass A ―
    kpass B 通過
    +pass A 通過
    kpass B- 通過
    kpass B- 通過
    npass B+ ―
    kpass B- 通過
    npass A ―
    kpass B 通過
    kpass B 通過
    npass AA ―
    +pass AA 通過
    +pass B+ 通過
    npass A 不採択
    npass A ―

 このようにして,+pass 14件,kpass 8件,npass 11件,計33件となり,オーディションは33件とすることができた.実際,2日間のオーディションでは35件程度が限度である
.それにしても,書類審査の段階で,竹内PMがAの評価で,筧PMが不採択という案件があるということ自体,PMの個性がよく発揮されたと言える.結局,このようなネゴに数日かかったことになる.

  4.オーディション

 オーディションは,上にも述べたように,書類審査の独立性を保つために,IPAの事務局を仲介にして人数を確認したあと,最後に両PMで直接審査結果を見せあい,前節の不採択案件を除く33件についてオーディションを行なうことになった.人数は期せずして前年度とまったく同じである.
 オーディションは両PMのほかにプロ管組織候補の方々を交えて6月23日(木)と6月25日(土)に行なった.申請者には現役の学生が多いので,なるべく週末に行なうべきかと思われるが,審査側や会場の都合なども勘案し,どうしても学業の関係で都合のつかない人は土曜日ということにして,約半数は木曜日に行なうことにした.IPAの方にはその分ご迷惑をかけてしまった.

 5.プロジェクトの採択とPMの分担

 オーディションのあとのプロジェクトの採択・不採択の決定は,以下のようにして行なった.

(1) 両PMそれぞれが「ぜひ採択」,「採択」と「次点 (補欠)」の判定を行なう.このとき,「ぜひ採択」以外は,順位をつける.オーディションに参加したプロ管組織候補のコメントも参考にする.実際,ボーダーラインの提案の判定には非常に役立った.

(2) IPA事務局で整理し,少なくともどちらか一方のPMが「採択」とした提案は採択案件とする.

(3)「次点 (補欠)」については各PMの順位をもとに事務局が順位付けを行ない,予算の許す範囲でどこまでを採択案とするかの線引きをする.

 両PMの当初の審査結果を事務局が整理した結果は以下の通り.

【筧PMの審査結果】
 ぜひ採択: 3件
 採択: 11件
 補欠: 2件
 白紙: 10件 (自分で担当してみたいとは思わないもの)
 パス: 2件 (諸般の事情でパスしたいという思いが強いもの)
 不採択: 6件

【竹内PMの審査結果】
 ぜひ採択 4件
 採択: 15件 (順位つき)
 補欠: 4件 (順位つき)
 不採択: 10件


【両PMの審査結果を整理】
 両PMとも採択以上: 12件
 筧PMのみ採択: 2件
 竹内PMのみ採択: 7件

 両PMとも補欠: 0件
 筧PM補欠,竹内PM不採択: 0件
 筧PM不採択,竹内PM補欠: 3件
 両PMともに不採択: 7件

 今年度は,採択に関する意見の一致が前年度の9件に比べ,3件多くなっている.前年度同様,筧PMの採点は少々辛い.どちらか一方が採択とした案件は採択するという方針と,予算総額を勘案して,結局21件が採択案となった.上の審査結果を見るかぎり,ほぼ機械的に採択が決められたということになる.なお,採択案件のうち1件は,提案者が企業所属の方で,審査が進むうちに社内でも提案が認められ,社内プロジェクトとして起こすことになったということで辞退を申し出てきた.未踏と企業人の一つの関係性として注目すべき事件であったと思う.

 


3.プロジェクト終了時の評価

 未踏ユースが2PM体制になって2年目である.第1章でも書いたが,初年度の方針をほとんど変更せずに行けたというのは,スキームとして最初からほとんど完成していたということであろう.相変わらず人脈を伝に広がっているという感は否めないにしても,応募者の裾野は年々着実に広がっている.ソフト業界関係者のところへ行って,「未踏ってなんですか?」と聞かれる確率は大幅に減ってきた.

 今年度は中間報告会をプログラミングシンポジウム (プロシン) の場を借りて行なった形になったが,そこで若くて元気な人からぜひ未踏ユースに応募したいですと言われた.日本最古のプログラマ・シンポジウムとも言えるプロシンに,この1〜2年,未踏ソフトウェア事業は喝を入れてきた.情報関係の学会は,年初の「日経ソフトウェア」の特集記事ではないが,ともかく元気がないし,社会にアピールすることがない.企業の中堅は学会に出てこない.一部の若者は最初はいいが,いつのまにかどこかへ消える.プロシンはそういう風潮の中で,ともかくプログラミングをこよなく愛する人たちが「プログラミング道保存会」のような雰囲気で営々と続けてきた集まりである.なにしろ,情報処理学会の歴史よりも古い.そもそもプロシンのスタートは「夢のシンポジウム」というタイトルだった.私もさすがにそのころは小学生だ.そこでは256語しかない計算機でどうやって偏微分方程式を解くかという,本当に夢のようなことが語られていた.
 まさに,未踏は「夢のシンポジウム」の初志を復活させるカンフル剤になるのではないかと思う.願わくば,こういった集まりの中から,次々と日本のソフトウェアを背負うクリエータが出てきて欲しい.未踏はもちろんそれを本旨とする事業なのだが,ありとあらゆる機会を利用して,未踏の本来の本旨を羽ばたかせるべく,他の事業やイベントに影響を及ぼすことが重要である.だから,未踏が「プロシンジャック」をしてもなんら差し支えないと思う.
 そういえば,今年度は,2002年度の私の未踏紹介の講演に引続いて,FIT (情報科学技術フォーラム,情報処理学会と電子情報通信学会の共催) で未踏を特集してもらった.私がオーガナイザに指名され,以下のようなセッションを開催した.
 

特別セッション: 若い才能と未踏ソフトウェア創造事業

 2000年から始まった未踏ソフトウェア創造事業は5年計画が延長され,今年度で6年目に入った.これまで多数の開発者が発掘されてきたが,その中で特にどんな若い人達が発掘されて日本のソフトウェアにインパクトを与えてきたのかを検証する.日本にも昔からこの年代で飛び抜けた人は何人もいたと思われるが,その人たちはその後日本の企業社会の中でどうなったのかも含めて,若い才能の発掘と育成・保護・支援のありかたに踏み込んで考えたい.というのも,これは若者たちが情報技術を本格的に学び,探求することに魅力を感じなくなってきているらしいという昨今の状況に喝を入れるという意味もある.
 まず,開発当時20歳前後だった何人かの未踏ソフトウェア創造事業 (未踏ユースには限らない) 開発者若干名に,その成果や意義について簡単に発表してもらう.そのあとのパネル討論において,この事業のプロジェクトマネージャ等にも単刀直入に関連した話題を提供してもらい,日本のソフトウェアの活力化の今後を見据えた議論をしてもらう.

9月9日 (金) 9:30-12:00
第2イベント会場 (中央大学理工学部5号館3F 5333 195名収容)
司会進行: 竹内郁雄 (東京大学大学院情報理工学系研究科)

9:30-10:00
講演1「軽量型OSとデータ圧縮について」川合秀実 (OSASK計画)
10:00-10:30
講演2「未踏でのSoftEther VPN開発から現在に至るまで」 登大遊 (ソフトイーサ株式会社)
10:30-11:00
講演3「レーザードローイングツールAfterglowの開発」田川欣哉 (リーディング・エッジ・デザイン)
11:00-12:00
パネル討論「未踏ソフトウェア創造事業のインパクト」
司会: 竹内 郁雄 (東大情報理工)
パネリスト: 池田 正喜 (シーカネット) ,川合 秀実 (OSASK計画)
田川 欣哉 (リーディング・エッジ・デザイン)
中島 秀之 (はこだて未来大) ,登 大遊 (ソフトイーサ)

概要: 未踏ソフトウェア創造事業が,若い人達にどんなインパクトを与えたか,それによって日本のソフトウェアが本当に元気になったのか,もっといい事業スキームはないのだろうか,もっと裾野を広げるにはどうすればいいか,未踏ブランドはなんぼのもんじゃ,など,具体的な事例をベースにいろいろ楽しく議論したい.
 登君は未踏ユーススーパークリエータ,田川君は未踏スーパークリエータ,未踏ユースOBとして最も後輩の面倒見がよい川合君は未踏ユース準スーパークリエータ,池田さんは未踏ユースプロジェクト管理組織OBで,いまでも未踏ユースの人脈作りと活性化に大いに貢献しておられる方,中島さんは現役未踏PMである.講演は3件とも非常に面白く,会場もたくさんのお客さんで盛り上がった.パネルでは私がいろいろ危なそうな発言をして,パネラーを乗せた(?)ので,さらに盛り上がり,会場から多くの意見や質問が出た.こういうイベントをしてみて気がつくのは,やはり未踏の認知度のみならず,期待度が確実に上がっているということである.
 このセッションで最大の注目を集めたのはソフトイーサの登君の講演であった.2003年度に未踏ユースに採択された登大遊君のソフトイーサ (最近,PacketIXに改名) はプロジェクト期間中のみならず,その後もますます発展を続け,日本のソフトウェアとして世界に名を轟かすに至った.2005年夏に研究開発会社のほかに販売会社を設立し,本人がさらに開発に時間を割けることができるようにした.登君はまだ大学3年生であるが,株式上場の日本最年少記録 (23歳?) を目指しているという.この発表には会場が騒然としたものである.さらに彼には私から依頼して,2006年1月に東大・情報理工学系研究科・創造情報学専攻で約2時間の講演をしてもらった.教員も含めて,全員が彼より年長の聴衆は,彼の静かに燃える情熱に圧倒された.

 登君はちょっと別格であるが,未踏ユースの効果はゆっくりと時間をかけて現れてきている.2002年度のスーパークリエータである西尾泰和君は,24歳で (多分) 日本最年少の博士号を取得する見込である.通常に比べて,3歳も若い年齢である.しかも,今後は,学位を取ったDNA関係の仕事ではなく,もっとコンピュータソフトウェア関係の仕事に目を転じたいという.こういうのを本物のクリエータと呼ぶのであろう.同じく未踏ユース初年度の (惜しくも) 準スーパークリエータとなった,草の根OS,OSASKの開発者である川合秀実君は,初志貫徹,とうとう「OS自作入門」(毎日コミュニケーション) という700ページ超の分厚い本を上梓した.売出し早々,コンピュータ関係の書籍の中でベストセラーになる勢いだという.これが自分の未踏ユースの成果だと川合君は言うが,本当に素晴らしいことである.
 このように未踏ユース発の大きなニュースはまだまだ出てきそうである.なにしろ,未踏ユースは若い優れた才能を発掘することが主目標である.1年弱ですべてが花開くわけではない.発掘された才能は,何年か経ったあとで本当に花開く.これからが楽しみである.このような長期的なというか,気長なつもりでプロジェクトの成果を捉えることが肝要である.この報告書で100%の満足度が表明されていないようなプロジェクトであっても,もう少し時間が経つと大化けするものが出てくる可能性が十分ある.今年度はそのような潜在能力に対しても積極的な評価をすることにした.
 ところで,例年のごとく,予想もしないような発掘・発見がある.残念ながら,開発期間中にはちゃんとアピールできる成果は出せなかったが,高橋君はこれまでの未踏ではちょっと見たことのないようなタイプの強者だった.ハードウェアの一番奥底のレベルのソフトウェアでガチャガチャ頑張る人がまだいるのだと感激させられた.こういう人は大事にしたい.

 また,私自身も2005年度に大きな転機を迎えた.それは,8年間勤めた電気通信大学から,秋葉原クロスフィールドに創設された東京大学情報理工学系研究科の新専攻,創造情報学専攻に移ったことである.専攻名にある「創造」はまさに未踏ソフトウェア創造事業の「創造」である.この専攻の教育理念はソフトウェアの創造的実践を通じて,実践的創造力を涵養することである.まさに,スーパークリエータを育成する専攻といってもよい.このような理念が経済産業省だけでなく,世の中一般に認められつつあるということは,未踏ソフトウェア創造事業の評価の高さにも裏付けられていると思う (実際,そのような話をよく聞く).そのような理念の専攻に招かれたことは,これまでのPM活動が個人的にも評価されたからだとすると,非常に喜ばしい.そんなわけで本年度からIPAでも大学でも,一貫した形でスーパークリエータの発掘・育成に携わることができるようになった.

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 スーパークリエータの選定にあたって,同レベルであれば,例によって若いほど敷居を低くするという方針はこれまでと同じである.選定結果はすでに個別プロジェクトのところで述べたが,ここで再度まとめて紹介する.選定理由は各論を参照されたい.年齢は採択時のものである.こう見ると,スーパークリエータはすべて単独開発者だ.しかも,みんな若い.やっぱり,これが自然であろう.


◆ スーパークリエータ

高橋 一志 (19歳)
前田 智哉 (22歳)
宮崎  真 (23歳)

◆ 準スーパークリエータ

大澤  亮 (23歳)
花岡 健介 (22歳)
高木 綾子 (22歳)
田村 真浩 (23歳)

 毎年のことだが,やはり,隣の芝は青い,いや青すぎる.筧PMが担当している開発者には,むしろプログラミングスキルや馬力で私をうならせた人が何人かいた,スーパークリエータの認定は筧PMにお任せするとして,私がすごいなぁと思った人を敢えてその順で挙げておこう.特に川口君は今年度のスーパースターである.

川口 耕介 (27歳)
岩井 貴史 (20歳)
山本 大祐 (21歳)


 

(注)開発者個々に対するコメントについては各々のプロジェクトの「開発成果評価書」を参照ください。竹内PM傘下のプロジェクト一覧は こちら からジャンプできます。(IPA未踏事務局より)

 



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