平成12年度未踏ソフトウェア創造事業


採択案件評価書

1.担当PM  6.竹内 郁雄
2.採択者氏名  湯澤 太郎 (株式会社コーエー)出口 弘,寺野 隆雄,車谷 浩一
3.プロジェクト実施管理組織  株式会社コーエーネット
4.委託金支払額  29,998,500円
5.テーマ名  面白く遊んで深く理解する バーチャル経済多主体複雑系ゲーム開発
6.テーマ概要

 本プロジェクトは,ゲーム産業のクリエータと人工知能・複雑系経済学・ソフトウェア工学の研究者の連係によって,新しいタイプのエデュテイメントゲームを創り出すことを提案する.具体的には,ゲームのNPC (Non Player Character) を自律的エージェントと見なし,人間のゲームプレイヤと自律的エージェントがコミュニケーションしながら多彩な社会経済システムを作りだすようなゲームを,9種類の経済主体からなる仮想的な経済システムの運営ゲームとして開発する.

 ゲームはシナリオやパラメータによるような既存の設計技法とは全く異なるアプローチで開発される.このゲームでは,ゲームの中の経済主体としてのエージェントが自律的に意思決定を行ない,学習進化しながら互いに取引を行なうことで経済システムを発展させていく.プレイヤは,産業補助金政策を主張する政府エージェントを選ぶなど,各エージェントの基本性格を選択したり,自らがある産業のエージェントの代わりにプレイするなど様々な参加の仕方が可能である.ゲームの結果は,単純な勝ち負けではなく多彩な経済成長のパターンとなって現れる.ある場合には経済はハイパーインフレで破滅し,ある場合には企業は豊かになるが家計は疲弊する.プレイヤの様々な政策的選択やエージェントの選択でもたらされた多様性は,経済学的に厳密な意味での国民経済計算の結果やマクロ経済のデータであるが,それらについてプレイヤはまったく知らずにプレイできる.また,ゲームの結果は様々な形で逆解析することによって分析できる.

 このゲームの開発はエデュテイメントのみならず,シミュレーションゲームやRPGなど多くのゲームにエージェント指向のソフト技術導入の波及効果をもたらす.このため,本開発プロジェクトではコア部分をオープンソースの形で開発する.「何が起こるかわからない」新しい面白さを持ち,しかも現実と結び付いたゲームの需要は高い.多くのゲーム技術者が関心を持つことはこのゲームジャンルの進化を促進する.開発グループとしては,コンピュータゲームの進化に必要な技術革新をシェアすることによってゲーム産業全体の発展を促すと同時に,具体的な製品開発のイニシアチブを握ることを狙っている.
7.採択理由

 標題が雄弁に物語るように,これまでに例のないタイプのマルチプレイヤゲームの開発である.その背景に経済学的な裏付けのある多主体複雑系の議論が含まれている.PMは,共同提案者の出口京大助教授の馬力のある主張は以前からよく聞いており,これがこのような形で実践的に展開されていくのは意義深いと感じた.このゲームは経済現象に関する教育的な価値があり (経済音痴をなくす),リアルな社会問題に近いレベルで,多数の自律エージェントの生みだす複雑系的振舞を体感できる面白さがある.それと同時に,ゲーム内に自律的に動く知的エージェント (NPC) が多数配置されるという,これまでにないゲーム開発手法が要求される.そろそろマンネリ打破を目指さないといけないゲーム業界にとって新しい局面が開けるチャンスとなる.この点で,未踏性とビジネスシーズ性を高く評価した.

 なお,本提案は純粋に研究としてとらえても,複雑系,マルチエージェントの協調など,具体例に即した興味深い研究課題を内包している.しかし,未踏ソフトウェア創造事業では,ゲームビジネスの新しい局面展開を打ち出せるという点を期待したい.
8.得られた成果の概要

 提案に述べられた仮想的な経済システムの運営ゲーム (バーチャル経済ゲーム,Veconomy) に向けての基本要素技術とプロトタイプソフトウェアを開発した.具体的には,


[バーチャル経済ゲームの概念を示すポンチ絵.9種類の経済主体にプレイヤが関与してゲームが進むことを表している.]

(1) グラフィカルユーザインタフェース (GUI) の開発とゲームデザイン
 バーチャル経済ゲームを子供から政策担当者までが遊べる・学べるシステムにするためには見てすぐわかるGUIが必須である.ここでは,まず経済学習・教育に利用可能なスプレッドシートとグラフによる実用的なユーザインタフェースをJavaを使って開発した.そのあと,エンタテインメントゲームとするためのゲームイメージの設計を行ない,各種のバーチャル経済ゲームのアイデアを形成するに至った.例えば,バーチャル経済ゲームを子供向きのRPG (ロールプレイングゲーム) 仕立てにするアイデアなど.

(2) バーチャル経済システムのコア部分の開発
 開発者の出口さんが樹立した交換代数理論 (出口弘著『複雑系としての経済学』シリーズ・社会科学のフロンティア No.6,日科技連,2000) を完全な形で計算機上に実装した.使用言語はJavaである.これによって,ミクロの取引記述からボトムアップでマクロの経済計算を厳密に行なうことが可能になった.これは (自律エージェントを含めた) 多く競技者の経済社会現象を含むようなゲームを開発しようとするときの共通のインフラとして使える成果である.これはv-econ.com,v-econ.orgのドメインを使って,オープンソースにする予定.

(3) エージェント相互作用の実装
 ゲーミングシステム内に存在するNPCや人間をエージェントとしてモデル化し,その枠組を実装した.
 エージェントが相互に通信しあうためのプロトコルX-SSはこのエージェントモデルと独立に開発した.プロトコルX-SSは同一マシン内では性能の高いオブジェクトメッセージ方式を採用し,ネットワーク経由ではXMLを使用することによって汎用性と拡張性を高めている.このプロトコルにより,遠く離れた人間同士がバーチャル経済ゲームをネットワークゲームとして楽しむことが可能になる.

(4) 学習機能の設計
 バーチャル経済ゲームに参加するNPCを本格的なものにするためには,エージェントに学習機能をもたせることが必要である.遺伝アルゴリズム (GA) による最適化,ルールベースによる意志決定,クラシファイアシステムによる意志決定を3段階に分割した実装の設計を行なった.この設計の段階で,いわば神の視点でプレイできるオートプレイバージョンを開発した.これは設計過程で生まれた副産物であるが,大学などでの経済学習に有効に使えるソフトウェアである.

[プロトタイプのバーチャル経済ゲームの画面.非常に堅い表が見えるが,経済とはこんなものといえばこんなもの.この中の数値を変えると予測のつかないような経済指標の変化がもたらされる.子供向けにや家庭向けにはもっと柔らかい間接的なコントロール画面が出るはずである.]

 結局,プロジェクト期間中に提案通りの形のバーチャル経済ゲームを完成させるには至らなかったが,そのために必要な要素技術とソフトウェアを積み上げることができた.
9.プロジェクトや成果に対するコメント

 このプロジェクトは出口さんのパーソナリティを評価して採用したと言っても過言ではない.出口さんの「交換代数」の話は表面的には何度か聞いていたが,2000年末に出版された『複雑性としての経済学』に記載された精密な記述を眺めて初めてその「代数」としての面白さに気づかされた.数学の素養や簿記の素養がないと難解だが,簿記という実学に対してこのような抽象的な代数学が組み立てられることに感服した (PMも細部まで理解できたわけではない).このような厳密な理論の裏付けがあり,かつそれが結局ミクロとマクロの間に複雑さの淵を生み出しているというところに,バーチャル経済ゲームの真の奥深さと面白さがあると思われる.交換代数がコンピュータ上に実装さたれたことの意義は大きい.なお,交換代数を実際の国民経済の状態の記述に具体化する,いわばコアの厳密な仕様の作成自体もこのプロジェクトの成果である.
 開発者たちはPMのよく知っている信頼の高い方々だったので,プロジェクトの進行にPMはほとんど口を出さないことにした.しかし,ゲームのコア部分に交換代数という理解困難なものがあったことに加え,元物理学専門の経済学者,計算機科学者といったアカデミア系の開発者と,生き馬の目を抜くような動きの速い厳しいゲーム業界のプロデューサという組み合わせはプロジェクトの具体化に予想外の難しさをもたらしたようである.
 そのため,当初のスケジュール通りには進まず,開発期間中には要素技術やソフトウェア部品,副産物的な教育的ソフトウェア,バーチャル経済ゲームのプロトタイプが開発されるにとどまった.しかし,コア概念である交換代数の実装が完成したことで,今後のゲーム設計や開発が加速するものと思われる.
 開発者たちは,提案書にあるバーチャル経済ゲームにとどまらず,9種類の経済エージェントのそれぞれを複数にしたり,それらからなる国民経済をさらに複数にし,国際取り引きを含めたバーチャル国際経済ゲームにまでアイデアを発展させている.完成すればまさに国の政策担当者にも有意義に「遊べる」ゲームになるであろう.特にいまの日本には緊急性の高いものかもしれない.
 得られたソフトウェア自体は,まだ「面白く遊んで深く理解する」レベルにはならなかったと思うが,急がば回れの喩えもあるように,長い目で見れば,このプロジェクトは成功だったと考えたい.
10.今後の展開に向けてのコメント

 上述したように,本当にアピールできる成果はこのプロジェクト期間の後に残された課題となった.なるべく早めに,GUIや通信機能が完備した,とりあえず市販あるいは一般公開に耐え得るような,面白く遊べるバーチャル経済ゲームを提示していただきたい.ゲーム業界はそんなに甘いものではないかもしれないが.
 バーチャル経済ゲームを子供にも遊べるようなRPG仕立てにするというアイデアは,まだ練り上げに時間を要すると思ったが,興味深かった.これはプロジェクト内で秘密のままにして開発するのかと思っていたら,むしろアイデアを公開したままで開発するとのこと.その発想に,このプロジェクトが日本のゲーム業界の明日を考えている姿勢が窺える.たしかに交換代数という面倒なインフラを実現しても,これをベースに市販ゲームにまでもっていき,業界を盛り立てていくためには,当面オープンな姿勢のほうが効果的・戦略的なのであろう.
 ところで,バーチャル経済ゲームの需要はむしろ日々の経済現象に追われているサラリーマンなどのほうにあるかもしれない.子供向けだけでなく,サラリーマン向けのゲームを開発し,家庭内で子供とゲーム機を奪い合わせるという発想もぜひ追求してほしい.
 いずれにせよ,経済ゲームにかぎらず,知的で学習もするエージェントが多数含まれたゲームは未踏の世界である.ぜひこの先駆的な仕事を完遂していただきたい.
11.評価の定量的なまとめ

[1] 未踏性 A ゲームの新しい世界を切り開こうとしている
[2] 発展性 A バーチャル国際経済ゲームへの発展などの夢が膨らむ
[3] 完成度 B+ 要素技術や副産物が生まれたが,予定したゲームには至らなかった
[4] 生産性 B 事前検討に時間を要し,ソフトウェア生産の時間が不足した
[5] 戦略性 A- ゲーム業界にあって,このオープン性に高い戦略性が潜んでいる
[6] 意外性 B+ 当初の計画になかったアイデアが生まれている